【合同結婚式】

7月16日(土)

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今日の記事

「統一教会」と言えば

当時「合同結婚式」

こんな事ありえるんだと思った

当時34歳の桜田淳子を追って…“統一教会”の「合同結婚式」を直撃(1992年)

公開日: 更新日:
統一教会合同結婚式参加記者会見での桜田淳子(C)日刊ゲンダイ
統一教会合同結婚式参加記者会見での桜田淳子(C)

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当時34歳の桜田淳子を追って…“統一教会”の「合同結婚式」を直撃(1992年)本人やる気もファン不在 桜田淳子の芸能界復帰早くも暗雲

 1992年8月25日ーー。韓国・ソウルオリンピックスタジアムで“統一教会(世界基督教統一神霊協会)”の「合同結婚式」が夏の暑い日差しの下で行われた。日本からは歌手の桜田淳子・新体操の山崎浩子も参加するとあって日本からも多くのメディアが押し寄せていた。私もそのひとりだった。
スタジアム内は多少の取材規制はあったが撮影用の高台を用意するなど、おおむねメディアを歓迎するムードだった。当日、午前中からスタジアムをロケハン。外で待っていると、大型バスが続々と到着。黒服の新郎と、純白のウエディングドレス姿の新婦たちが次々と降りてきた。

協会の発表によるとその数、世界131の国からおよそ3万組の新郎新婦たち。人種も白人・黒人とさまざまだが、グラウンド内のメイン会場に整列するのは桜田・山崎ら各国のVIP待遇と思われる新郎新婦。他はスタンドから儀式に臨む。一堂に会した新郎新婦がスタジアムを埋め尽くす。メディアの中からも「凄い」とため息がでる。まるで別世界に飛び込んだようだった。これが桜田の言う「理想の形の結婚」だったのだろうか。

「文鮮明が選ぶ相手ならどんな人でもいい」

人種も年齢も様々(写真は2002年の合同結婚式)/(C)ロイター
人種も年齢も様々(写真は2002年の合同結婚式)

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当時34歳の桜田淳子を追って…“統一教会”の「合同結婚式」を直撃(1992年)本人やる気もファン不在 桜田淳子の芸能界復帰早くも暗雲

 私はグラウンドからスタンドに移り日本人女性を探した。この日に会った新郎が文鮮明教祖によって決められた結婚相手。女性の倍ぐらいの高身長の黒人男性もいれば、太った白人男性もいる。声をかけてみたが「うれしいです」と言葉は一様に少なめ。中には涙を流す女性もいた。

式典終了後も取材は続いた。狙いは桜田に絞られた。宿泊先も杳として知れず。分散して宿泊している他の信者も話す者はいない。

翌日は「ダメもと」で無謀といわれた文鮮明の自宅に直撃取材に出かけた。市内から車で15分ほどの小高い丘の高級住宅地に邸宅はあった。3メートルほどの大きな門からは屋根も見えない。門前に立った瞬間、いきなり3人の男が横の扉から出てきて、詰め寄ってきた。日本語の話せるタクシーの運転手に取材の旨を伝えてもらったが、まったく相手にされずに早々に退散。ソウル取材はさしたる成果もなく終わった。

合同結婚式がクローズアップされたのは式の2カ月前、山崎が週刊誌に「文鮮明が選ぶ相手ならどんな人でもいい」と参加することを告白。桜田も続き、芸能記者も本格的に統一教会関連の取材に参戦することになった。

桜田は14歳のときにオーディション「スター誕生!」(日本テレビ系)に出場。番組史上最高得点を獲得。獲得に乗り出した芸能プロはこれも最高となる25社。当初、森昌子のいる「ホリプロ」が有力だったが、「同じ事務所に偏るのは避けたい」という池田文雄プロデューサーの意見で「サンミュージック」に決まった。桜田は太陽のような明るさでトップアイドルの座に就いた。

「アイドル優等生」と評されスキャンダルも無縁だった。年を重ねると、アイドルから女優に転身。映画や舞台で活躍しだした頃に、合同結婚式参加。桜田34歳の時だった。

対照的に山崎浩子は合同結婚式に参加するも姉や屋久島に住む親族の説得もあって統一教会を脱退。結婚も解消。現在は新体操強化本部長として東京五輪に向け指導している。
合同結婚式から28年。桜田もすでに62歳になる。
二田一比古ジャーナリスト
福岡県出身。大学卒業後、「微笑」(祥伝社)の記者に。その後、「Emma」「週刊文春」(ともに文芸春秋)をはじめ、多くの週刊誌、スポーツ新聞で芸能分野を中心に幅広く取材、執筆を続ける。フリー転身後はコメンテーターとしても活躍。
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