ブログ更新しました【こしび】

 4月20日(土)

皆さんこんにちは。
肌寒い 感じが残る今日です。
夕方から雨模様なんで、早めに洗濯したほうがいいようです。


90歳大往生 怪優 三国連太郎のカネ オンナ 狂気



【芸能】



こんな役者はもう出てこない


 ベテラン俳優の三国連太郎が亡くなった。享年90。日本映画を代表する大御所は作品だけでなく、女性の話題も豊富だった。
 三国連太郎は波瀾万丈の人だった。
 中学時代に家出し、密航で中国大陸に渡って駅弁売りを経験。その後、いったん帰国して皿洗いや旋盤工として働き、徴兵に取られて再び中国へ。敗戦後帰国し、農協職員やバス会社員、ヤミ屋と職を転々とした。
 転機が訪れたのは1950年。銀座を歩いているところを松竹のプロデューサーにスカウトされ、大船撮影所の研究生となる。映画「飢餓海峡」「神々の深き欲望」などで個性派俳優の地盤を固め、晩年は「釣りバカ日誌」の好々爺然とした役柄で親しまれた。
 これまで4回結婚したが、相手はいずれも一般の女性だった。3度目の妻は神楽坂の売れっ子芸者で佐藤浩市の母。4度目の結婚は83年で、三国は60歳、妻の友子さんは34歳で26歳差だった。
 芸能評論家の肥留間正明氏が言う。
「物欲がまったくない人でした。女性と別れるときは財産をすべて相手にあげてしまい、自分はボストンバッグしか持たない。お金はあるだけ使ってしまえ、なければ借りろというタイプでした」
 芸能人との交際では故・太地喜和子が有名だ。当時、三国が41歳で太地は19歳。太地の実家に押しかけて親を説得し、同棲したものの、わずか3カ月で逃げ出した。
 三国に去られた太地がその後、12歳下の中村勘九郎(のちの勘三郎)と恋愛したのは「三国との恋愛では相手の言いなりだったが、勘九郎と付き合えば主導権を握れると計算したから」とみられている。
 三国の芸風は狂気じみていた。
「共演する女優が怖がっていたほどです」と言うのは芸能リポーターの石川敏男氏だ。
「ベッドシーンでは本当のセックスのように女優を扱うんです。“津川雅彦は女優の体に優しく触り、三国は本気で乱暴する”といわれていました」
 映画「復讐するは我にあり」のラブシーンで、あの倍賞美津子が身の危険を感じたという話はよく知られている。
「狂人」「役者バカ」と呼ばれた名優は昨年春から老人ホームに入り、この14日、都内の病院で死去。生涯で出演した映画は200本だった。 (記事伐採)
佐藤浩市氏は親父さんのこと許せたでしょうか?
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