【りえママ】

 

9月29日(月)

皆さんこんにちは。


9月もあと少しで終わりです。早いものです。

今日の記事

宮沢りえの母・光子さん死去…“一卵性母娘”の呪縛と壮絶秘話

「最期に、生きるということの美しさと、凄まじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います。」――。

 母の死を受けて、宮沢りえ(41)が24日夜、書面で、こう思いをつづった。“りえママ”の呼び名で知られた宮沢光子さんが23日、肝腫瘍のため死去。享年65。通夜、葬儀はすでに近親者のみで執り行われたという。

 光子さんは留学目的で渡欧した船中で船乗りだったオランダ人と知り合って結婚。73年にりえが誕生したが、生後4カ月で破局。その後、母の姉夫婦にあずけられたりえが、光子さんと同居するのは小学4年からで、保険の外交員や居酒屋勤めをする母親とようやくアパート暮らしが始まった。

 りえは小5でモデルを始め、14歳で「三井のリハウス」のCMに出演し一躍スターに。その後は母ひとり、子ひとり、「一卵性母娘」といわれるほど濃密な関係性の中で芸能界を生き抜いてきた。

「りえママはすご腕のステージママとして、りえの仕事内容、交際相手、人間関係にいたるまで全てをプロデュース。りえはまだ10代の頃から六本木や四谷のバーなどでビートたけしや内田裕也、本木雅弘といったタレントや、芸能プロや映画会社の幹部など業界人と親しげに同席していましたが、常に店の外にはりえママの影がありました。写真家の篠山紀信に相談してヘアヌード写真集『サンタフェ』を仕掛けたのも、りえママの手腕です」(芸能ライター)

 日本中を驚かせたのが貴花田(現貴乃花親方)との婚約発表(92年)と婚約解消だった。もちろん、そこにもりえママの姿があった。

「結婚して、おかみさんになったら芸能界を引退することが条件だったので、りえママが反対して破局してしまった。傷心のりえは中村勘九郎(当時)と不倫関係になり、ホテルで自殺未遂まで起こしてしまう。その後もトレンディー俳優から歌舞伎役者まで多くの男たちと浮名を流し、激ヤセしてしまいました」(芸能リポーター)
前出の芸能ライターがこう振り返る。

「特異な親子関係で、りえも反発したり、光子さんもアメリカやパリに転居して娘と距離を置いたこともありました。それでも親子は親子。最近は舞台などで忙しいりえに代わって、孫娘の面倒をみていたそうです。最期は入院せずに自宅療養を選んだのもりえママの意思でした」

 そんなりえは現在、元プロサーファーの夫と5歳になる娘の親権を巡って離婚協議中。母ひとり、娘ひとりの因縁は、りえにも脈々と引き継がれている。


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