【自分不器用ですから・・】

 

11月18日(火)

突然の訃報です。ショックです。

高倉健さん死去 最後まで“美学”貫き闘病生活は一切明かさず

 日本を代表する映画俳優の高倉健(本名・小田剛一)さんが死去していたことが18日分かった。10日午前3時49分、悪性リンパ腫のため都内の病院で死去した。本人の意向で、葬儀は近親者のみで済ませたという。

 健さんといえば、常にスターであることを意識し、私生活を明かさないことで知られた。最後まで健さんらしい美学を貫いたことになる。

 1931年、福岡生まれ。福岡県立東筑高から明大商学部に進学。55年、東映ニューフェース2期生として入社。56年に銀幕デビューを果たすが、スターとしての地位を確立したのは60年代に入ってからと遅咲きだった。その後、「網走番外地」「日本侠客伝」などがシリーズ化され、大ヒット。「健さん」のニックネ
ームで親しまれた。

 70年代に入っても、「八甲田山」「幸福の黄色いハンカチ」など、ヒット作は多数あり、生涯の映画出演作は205本に上る。「鉄道員(ぽっぽや)」(99年)のロケでは真冬の北海道の撮影だったのにずっと立ちっぱなしで火にも当たらない、ストイックな俳優としても知られた。

プライベートは最後までベールに包まれていた。美空ひばり、雪村いづみと“三人娘”と呼ばれた江利チエミさん(享年45)と55年前の1959年に結婚したが、71年に江利さん側からの申し入れで離婚。その後は独身を貫いたが、チエミさんの命日の毎年2月13日前後になると、人目を忍んで、東京・世田谷の法徳寺にあるチエミさんのお墓に手を合わせていたという。

日本映画の黄金期を支えた役者で、最後の大スターと言っていいでしょう。私生活も含めスターとしての自覚があった人で、スキャンダルを切り売りするような今の俳優たちとは一線を画しました。

 俳優を体現したエピソードのひとつには、いつでもアップの写真にたえられるよう、毎日散髪していたというものがあります。健さんは以前、ホテルパシフィック東京(現シナガワグース)と呼ばれたホテルを定宿にしていて、そこの老舗の散髪店に毎日通っていました。映画関係者が健さんと連絡を取りたい場合、取りあえずその散髪店に電話したというほどでした。

 映画では、最後の出演作となった「あなたへ」(12年)の鬼気迫る演技が思い出されます。ビートたけし、佐藤浩市、田中裕子といった健さんお気に入りの役者を並べ、ある意味、遺言のような映画でした。ただ、どんなにすごい役者を並べても、やっぱり最後は健さん映画になってしまうのです。

 日本映画界最高の銀幕スターがついに逝ってしまった。

▽高倉健 1931年2月16日福岡県出身。福岡県立東筑高から明大商学部卒。1955年にスカウトされて東映第2期生として東映入社。「電光空手打ち」でデビュー。1963年の「人生劇場飛車角」から任侠映画を中心に活躍。「日本侠客伝シリーズ」「網走番外地シリーズ」「昭和残侠伝シリーズ」などに出演。人気を不動のものにした。「昭和残侠伝」シリーズの主題歌「唐獅子牡丹」は200万枚を超えるヒットとなった。
1976年に東映を退社してフリーとなり、1977年には「八甲田山」「幸福の黄色いハンカチ」で第1回日本アカデミー賞主演男優賞を受賞。その後、「ブラック・レイン」「鉄道員(ぽっぽや)」「単騎、千里を走る。」など数多くの国内外の話題作に出演、内外で多くの賞を受賞。12年の「あなたへ」が遺作となった。2013年に文化勲章を受章している。