【臨時営業】

 

1月14日(水)

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今日の記事

しゃがれ声の関西弁のオッチャン逝く

共に芸能界歩み ラサール石井が語る故・石井光三会長“秘話”

「みんな忙しくて誰も葬式に来られないのが一番理想的」――。

 生前、そう語っていたという。6日に肝内胆管がんで亡くなった芸能プロダクション「石井光三オフィス」会長の石井光三氏(享年83)。「コント赤信号」時代、マネジャーだった石井会長と共に芸能界を歩んできたラサール石井(59)が13日、故人について語った。

「必ず行き先のテレビ局の紙袋を持って行って、ないときはコピーしてカバンに貼っていました。お笑いブームの頃は出る番組の平均視聴率が25%とかの時代だから、みんな僕らのネタを知っていて、観客の子供が先にネタを言うんです。テレビでは子供の声を拾ってないから分からないんだけど、僕らはそれに反応してしゃべってしまった。すると、番組が終わって社長(会長)は『何言うてんねん!』と激怒。プロデューサーが『まあまあ』となだめるほどの勢い。で、外に出た後『ああ言うたら誰も怒らんやろ?』と言うんです。本当は怒っているんだけど、その怒りを僕たちに分からせながら周囲に気を使える人だった」キャラの濃さからあっという間に名物会長となり、ラサールは「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)で会長のモノマネを披露。特に、楽屋で余った弁当をかき集める話は有名で、「近藤芳正や磯野貴理子や『ピンクの電話』は社長がもらってきた弁当で育った」(ラサール)という。


 芸能リポーターの川内天子氏はこう言う。

「社長なのに必ず現場にいて、いつもくしゃくしゃの笑顔でいました。いつも自分からしゃべって自分から仕切って、誰よりも前に出てきていたので、『コント赤信号』本人たちよりも目立っていました」

 次女で現社長の久美子さん(47)も「元気なイメージのままで終わりたいというので、お見舞いはお断りしていました。病気が見つかった2年前、『もう満足した人生やったから、このまますぐに逝けまへんか?』とお医者さんに言っていた」とコメント。芸人と二人三脚で歩んだ生涯だった。