【二刀流の血脈1】

 

4月6日(月)

皆さんこんにちは。

雨が降ったりやんだりお天気が安定しませんね。

少し肌寒くも感じます。

今日の記事

今年もやってくれそうです。

見てても安定感が出てきました。

「翔平」の由来は源義経だった

 岩手県南西部に位置する奥州平泉は、源義経ゆかりの地だ。義経が頼った藤原氏の拠点だし、自ら命を絶った場所でもある。

 悲劇のヒーローは人々に愛され、のちに「判官びいき」という言葉も生まれた。

 そんな義経の死から約800年後の1994年、奥州市でひとりの男子が誕生した。父親は義経にちなんで、男の子を「翔平」と名付けた。現在、奥州市で暮らす大谷の父・徹(52)が名前の由来をこう説明する。

「義経が平泉にいたというのは、このあたりではだれでも知っています。中国に渡ったとか、北海道に行ったとか、義経伝説もいろいろあって、歴史上のいいイメージがある。最初は義経でもいいかなと思ったんですけど、大谷義経では、いくらなんでもだいそれてるかなと(笑い)。もともと翔という字が気に入っていて、はばたくというイメージがある。義経はなんかこう、身軽で美男子だったと聞いたこともありましたしね。大谷翔でもよかったんですけど、僕が徹でひと文字。これは僕自身が嫌で、上の子2人も、ふた文字にしたんです。ふた文字にすると、翔平とか翔太かなと。お兄ちゃんとお姉ちゃんは横浜で生まれたけど、あいつだけ岩手で生まれた。平泉も近い。なので平の字をもらって翔平と名付けたのです」京の五条の橋の上。牛若丸(義経の幼名)は飛んで跳ねて、身軽な動きで弁慶が振り回すなぎなたをかわした。その義経をイメージして名前をもらった大谷はドラフト1位で日本ハムに入団。


 背丈は“弁慶並み”に大きくなったものの、投げて、打って、八面六臂の活躍で、ファンを魅了している。

■プロ野球選手の夢を断念した父・徹

 徹は現在、奥州市付近にある自動車のボディーメーカーに勤務、車体を造る過程のラインに携わっている。

 勤務は昼夜2交代制。当初、昼の部は午前8時から夕方5時まで。夜は8時から朝5時までだった。

「いまは昼が朝6時半から夕方4時くらい。夜は4時から夜中の1、2時までですか。完全に昼夜さかさまというのはなくなってきています。翔平が中学生くらいまでは昼夜、完全な1週間交代でしたけど、いまは昼が多いです。それでも新車が立ち上がるときや、生産台数を増やさなければならないときは夜も入りますけどね」こう話す徹は岩手県立黒沢尻工業高校で甲子園を目指し、卒業後、社会人野球の三菱重工横浜でプレー。当時はプロ野球選手になりたいという夢をもっていた。


 しかし、志半ばで断念。「長男ですし、いつかは実家に戻るべきだと考えていた」と、両親の住む岩手に戻る。そして岩手で最期を遂げた義経にあやかった名前を自分の子供に付け、子供は
義経伝説の舞台でもある北海道で父親の夢をかなえた。


 受け継いだのは父親の夢だけではない。大谷は間違いなく両親のDNAを譲り受けた。

(続く)

今日の逸品  

自家製一寸豆の豆腐

お付きだしでだします。
ご笑味ください。