【完全復活】

 

9月17日(木)

皆さんこんにちは。

うって変わって肌寒い日です。

「女心との秋のそら」

では、「女心と秋の空」と言われるようになったのは、いつごろでしょう?

明治時代の尾崎紅葉の小説『三人妻』に「男心と秋の空」がでてきますが、「欧羅巴の諺に女心と冬日和といえり」と続きます。おそらくこれは、イギリスの「A woman‘s mind and winter wind change often」(女心と冬の風)ということわざのことで、強風や弱風に変化しやすい冬の風を女心にたとえたもの。この頃から変化の兆しがみえてきます。

その後、大正デモクラシーで女性の地位が向上すると、恋愛の価値観も変わります。当時、一世を風靡した浅草オペラで、『風の中の 羽のように いつも変わる 女心――』と歌う『女心の歌』が大ヒット。西洋文化の影響で女性が素直に意思表示できるようになったこともあり、この頃から「女心と秋の空」とも言われるようになりますが、愛情に限らず、喜怒哀楽の感情の起伏が激しいことや物事に対して移り気なことを示しており、男心とは少しニュアンスが違うようです。

今日の記事  

40代前半でも倒れる危険性あります。

頑張ってほしい!

くも膜下出血から完全復活 米良美一が貫く「生への執着」

 映画「もののけ姫」の主題歌などで人気の歌手、米良美一(44)がくも膜下出血で倒れ、生死の境をさまよったのは昨年12月のこと。「発見が遅れていたら死んでいた」と主治医に告げられたそうだが、2度の手術を乗り切り、リハビリもほぼ成功。14日、約10カ月ぶりにステージに立った。

「意識が回復したとき、声が出るか心配だった。最初は後遺症があってマヒが見られましたけど、今は全然ない。大変な経験をプラスに変えたい」とコンサート本番前に語った米良は「とにかく長生きしたい。皆さんに喜ばれる歌を歌いたい」と歌手活動に意欲を見せ、生きることへの執着を隠さない。

 1971年、宮崎県西都市出身。古代神話が息づく「三財」という集落に生まれる。父は植林や伐採をなりわいとする山師だった。難産で生まれた米良は、両足がねじ曲がり、頭は腫れ、首は据わらず、乳を吸う力もなかった。転んだだけで手足の骨が折れてしまう先天性骨形成不全症と判明したのは6歳の時。それでもよく笑う明るい子供で、詩吟や民謡に親しみ、地域の宴会で二葉百合子の「岸壁の母」を熱唱すると、大人たちの喝采を浴びた。


ランドセルを背負う夢はかなわず、自宅から離れた寄宿舎の養護学校に預けられ、高校卒業まで周囲と遮断された環境での生活を余儀なくされた。中学時代はほとんど車いす。小6から中1が特につらく、側彎症で背が曲がって動かず、寝返りも打てずに、節々に折れるような激痛が走って、外出もできなかった。だが先天性骨形成不全症は、思春期を過ぎると症状が落ち着く。骨折は15歳で終わった。

■難病の過去を封印した“美学”

 歌手を目指したのは、松田聖子に憧れた中学時代。アイドルへの夢は断念したが、芸能界への憧れは残った。高校2年のころ、音楽の先生の勧めで声楽を習い、わずか3カ月後に宮崎県独唱独奏コンクールで銀賞に輝く。翌年は金賞を受賞。90年、洗足学園音楽大学に進学すると、先天性骨形成不全症だった過去を封印すると決意。あるインタビューで「ハンディを告白すれば、早く注目されたでしょうが、そういうやり方には『美』を感じませんでした」と語っている。音楽家としての美学も芽生えていた。

音大3年の時にテノールから、カウンターテナーに転向。きっかけは太く重いテノールのせいで、高声を出すのに疲れたから。もともとは男声だが、女声のアルトからメゾソプラノ、ソプラノといった高い音域までこなすカウンターテナーは日本では、まだ2人しかいない。通常は、バロックやルネサンス期の曲が主なレパートリーだが、日本の歌にこだわり、96年には日本歌曲を集めたCD「母の唄」を発表。同年オランダ政府給費留学生としてアムステルダム音楽院に入学。97年、映画「もののけ姫」の主題歌を担当し、圧倒的な人気を博したのは周知の通りだ。

「カウンターテナーよりエンターテイナーです」とよく本人が語っているが、試練の時を経て天使の歌声が戻ってきた。

今日の逸品  

活メ 鮃(ひらめ)  

薄造り、握りにどうぞ!