【GOROーMARU】

 

11月6日(金)

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スマスマで片鱗…五郎丸が秘める驚異のバラエティー対応力

「まずここに座ってるというのがおかしい」

 そう言って笑ったのは、ラグビー日本代表の副将・五郎丸歩(29)。2日に放送された「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)の「ビストロSMAP」にゲスト出演した。早大時代の恩師で五郎丸の所属する「ヤマハ発動機ジュビロ」の監督・清宮克幸(48)と共に登場。

 清宮監督に「試合前日、五郎丸が雪が降る街の中をキックボードで疾走していたところを発見して怒った」というエピソードを暴露され、五郎丸は「下(地面)も凍ってるんですけど、僕自身も凍っちゃって」と言って笑わせた。

 W杯で強豪・南アフリカ代表に劇的勝利をおさめて以降、ラグビー旋風が巻き起こった日本。特に五郎丸はキック前に精神統一をする“ルーティン”のポーズで一躍「時の人」となった。

 帰国後、多くの代表選手が情報番組に呼ばれたり、自宅への密着企画で妻が注目されたりする中、五郎丸はテレビの前に家族をさらすことなく自らが矢面に。PRイベントのゲストに呼ばれる売れっ子になった。そして「スマスマ」で帰国後初のバラエティーに出演。清宮監督から「朴訥で田舎者」と評されると、「満員電車が無理なんです。頭一個抜けているので、空気はおいしいですけど」と笑わせた。


 五郎丸の対応力に「五郎丸さんはアスリート界では久々の“ヒット作”」と語るのは、芸能リポーターの川内天子氏だ。

「求められていることを理解しながら出しゃばりすぎない、でも笑いは取る……バランスが抜群です。他の選手が奥さんをテレビに出す中で、五郎丸さんは一切出さないところも好感度が高い。中途半端なひな壇芸人やタレントに見習ってほしいくらい完璧です。爽やかで清潔感があるので、これからスポンサーはたくさんつく。年末年始はトップリーグもオフシーズンなので、正月番組でも引っ張りだこになるのは確実。紅白のゲスト審査員はすでに内定していると思います。日本開催が決まっている19年のW杯に向け、ラグビー協会は五郎丸という広告塔を前面に押し出していくはず。フィーバーは途絶えないでしょう」
ラグビーW杯イングランド大会以後も、テレビで五郎丸歩(29)を見ない日はない。

 その人気者は、来季から世界最高峰リーグ・スーパーラグビーのレッズ(オーストラリア)でプレーすることが4日、所属先のヤマハ発動機から発表された。5日に記者会見が行われる。

 日本のトップリーグは13日に開幕し、1月下旬に終了。五郎丸はその後、レッズに合流する。契約期間は2月7日から最長で8月6日までとなっている。

 そこで気になるのが給料だ。スーパーラグビーといえば、南半球の最高峰リーグ。五郎丸は現在、ヤマハ発動機の社員として、年間に600万円以上はもらっているといわれているが、最低でもゼロがひとつ増えるのではないか。

■給料は会社とレッズの両方から

「まず、五郎丸の給料は600万円ということはない。もっともらっていますよ。09年にトップリーグへの昇格が決まったホンダヒートからプロ契約を破棄された三木亮平の年俸は2500万円だった。三木は損害賠償を求める訴訟を起こし、名古屋高裁は一審判決を覆してホンダ側に1900万円の支払いを命じた。2部チームの年俸でもそのぐらいですからね。ヤマハ発動機は09年11月、業績不振により強化縮小を発表した。それでも600万円ということはないでしょう」

 ならば、スーパーラグビーはどうなのか。

「プレーするのは半年間です。日本円に換算すれば、最低で約500万円、最高で3000万円ぐらい。仮に五郎丸の今の給料が800万~1000万円としても、そこまでは出さない。でも、ヤマハに在籍したままスーパーリーグでプレーするわけですから、給料は会社とレッズの両方からもらうことになる」(前出の関係者)

ちなみにW杯に優勝し、年間最優秀選手に選出されたニュージーランド代表の司令塔ダン・カーター(33)が移籍するフランス1部リーグ、ラシン・メトロでの年俸は100万ポンド(約1億8700万円)である。

年末のテレビは五郎丸一色となりそうだ。


今日の逸品   

自家製ベーコン  

1週間かけてようやく完成 

本願寺山科別院 (店のお隣)で記念式典やってます。

蓮如上人(れんにょ) 生誕600年式法要  

蓮如上人(銅像)
真宗大谷派山科別院長福寺境内

文明7年(1475年8月21日、吉崎を退去。一揆を扇動した下間蓮崇を破門。小浜、丹波摂津を経て河内出口に居を定めた。

室町後期の浄土真宗の僧。本願寺八世。七世存如上人の長男。幼名は布袋丸。諱は兼寿、信証院と称した。勅謚は慧灯大師。多くの「御文」(御文章)を作り、真宗教義を簡潔にして民衆に広めた。京都山科本願寺・大坂石山本願寺等を建てて本願寺の隆盛を図り、中興上人と仰がれた。明応8年(1499)寂、85才。

お隣の本願寺別院 本堂にて

すごい人の数です。さすが京都。