【職業 永六輔】

7月12日(火)

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ゴホンと言えば龍角散 

貴重な昭和ヒトケタの方がまたひとり逝ってしまった

永六輔さん大往生 作品の底流に「反権力」の気骨と反骨

会見で父・永六輔さん(右)との思い出を語る次女の真理さん/(C)日刊ゲンダイ

会見で父・永六輔さん(右)との思い出を語る次女の真理さん/

「上を向いて歩こう」「黒い花びら」など大ヒットソングの作詞、放送作家、文筆業、ラジオパーソナリティーと多岐にわたって活躍した永六輔さんが7日に亡くなっていた。享年83。数年前からパーキンソン病と前立腺がんを患い車椅子での生活だったが、最後までラジオ番組への出演を熱望していたという。
 すでに永さんの実家の浅草・最尊寺で家族葬が営まれ、後日、お別れの会が開かれる。
 早大時代から黎明期のテレビ界で放送作家として名を成し、職業「永六輔」と呼ばれるほど多ジャンルで活躍。下町生まれで江戸文化に精通。“お上”からの押し付けには徹底して反発し、尺貫法復権運動を提唱したこともあった。
 政治家など“有名人”嫌いで知られ、旅先などでの市井の人々との交流の中から言葉を拾い集め、エッセー「大往生」などを刊行。風刺とユーモアにあふれた洒脱な作品を数多く残したが、その底流にあったのは過酷な戦争体験と権力への反骨心だった。

 

戦時中は国民学校の同級生は宮城に疎開したが、永さんだけは知り合いのいる長野へ。そして昭和20年3月、卒業式のために東京に戻った仲間を襲ったのが東京大空襲だった。60年安保の際は石原慎太郎や黛敏郎ら当時の若手文化人とともに「国家権力」と対峙。落選はしたが83年には参院選に比例区から出馬したこともあった。そして繰り返しラジオや講演会などで説いていたのは平和主義と日本国憲法の大切さだった。
 2000年代になってからは盟友の故野坂昭如氏、小林亜星氏と3人で「世直しトリオ」を結成。2014年に刊行したエッセイでは「戦争を語ることができる最後の世代としてもラジオのスタジオに通い、憲法改正をはじめ、なんだかきなくさい最近の風潮に立ち向かおうと思う」と決意をつづっていた。
 改憲勢力が3分の2を超えた参院選の結果を見る前に旅立った永六輔さん。戦争を知る貴重な昭和ヒトケタ世代がまた一人、この世を去った。

 

今日の逸品  

 

岩牡蠣(いわがき)

 

美味です!