【最後の試合】

7月16日(土)

皆さんこんにちは。

祇園祭りは宵山です。

沢山の人がおいでになるでしょうな

今日の記事  

日本一有名な高校でした。

「悲しい…」 PL学園OB橋本清氏が母校の最後を見届け手記

敗戦に頭を下げる「最後のPL野球部員」(C)日刊ゲンダイ

敗戦に頭を下げる「最後のPL野球部員」(C)

 大阪の花園中央公園野球場は、試合前から異様な雰囲気に包まれていました。今夏限りでの休部が決まっている、母校・PL学園野球部の大阪大会初戦。スタンドは、2回戦だというのに通常の3倍にあたる2800人の観衆で埋まり、220人もの報道陣が集結。球場には元阪神の木戸克彦さん(55)、元巨人の吉村禎章さん(53)、元ヤクルトの宮本慎也さん(45)らプロ野球経験者だけでなく、多くのOBが駆け付けました。
 負ければ、これがPL野球部の最後になるかもしれない。みな、祈るように見守った試合はしかし、東大阪大柏原の7-6で決着しました。
「残念でしたね」
 取材陣からそう水を向けられましたが、残念では片付けられません。初回に2点を先制し、七回に一度は逆転するなど、たった12人の部員で懸命に戦ってくれた後輩たちを思うと、なかなか言葉が出ませんでした。

休部ということにはなっていますが、事実上の廃部と私は受け止めています。昨年1月、OB会が野球部の存続を願い、OB300人の署名を集めて学校側に嘆願書を送りました。名門の火を消してはならない──という思いはしかし、学校側には一顧だにされませんでした。
 悔しい、悲しい。今の思いはそれだけです。85年にPL学園に入学した私は、野球部の「研志寮」で2学年上の清原和博さん(48)と同部屋になりました。4人部屋だった当時の寮は8畳1部屋に3年生2人、2年生1人、1年生1人の部屋割り。部屋では常に正座で、清原さんに「ラクにしてええよ」と言われて、初めて体育座りができるという生活でした。1年生の起床は朝5時半。目覚まし時計は、かけてはいけませんでした。7時半に起床する先輩をその前に起こしてはいけないというのが理由です。
 洗濯や掃除、布団の上げ下げなど先輩の身の回りの世話をしながら、練習をする日々。正直、逃げ出そうと思ったことは一度や二度じゃありませんでした。でも、礼儀や自立など大事なことを学んだのは事実です。

平成に入って部内暴力事件が相次ぎ、行き過ぎた上下関係が批判されました。それが今回の休部の引き金になってしまいました。
 もちろん暴力は許されません。しかし、問題があるならそれを改善して、野球部を続けていく選択肢もあったはずです。そういう前向きな議論がなく、廃部ありきという印象。それが、悔しく、悲しいのです。
▽橋本清(はしもと・きよし) 1969年、大阪府摂津市生まれ。右のエースとして、左のエース野村弘と岩崎の三枚看板で1987年に甲子園で春・夏連覇に貢献。同学年のチームメートには立浪和義、片岡篤史らがいた。同校卒業後はドラフト1位で巨人入り。セットアッパーとして活躍した。現在は野球解説者を務める。

 

今日の逸品  

 

天然のひらめ

 

 

 

久しぶりの入荷です。