【理事長の椅子】

8月4日(木)

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今日の記事

理事長戦に根回し失敗した?

稀代の大横綱千代の富士 なぜ理事長になれなかったのか?

人気、実績ともに群を抜いていたが(C)日刊ゲンダイ

人気、実績ともに群を抜いていたが(C)

 幕内優勝回数31回(歴代3位)、幕内通算807勝(同3位)、53連勝(同3位)――。
 先月31日に亡くなった千代の富士(享年61)は、相撲史に燦然と輝く成績を残した。「ウルフ」の愛称で親しまれ、89年には相撲界で初となる国民栄誉賞を受賞。実績はもちろん、人気、知名度も群を抜く、角界のスーパースターだった。
 これだけの成績を残しながら、しかし、協会ではナンバー2の事業部長止まり。本人が望んだ理事長はおろか、選挙のたびに理事になるのも四苦八苦だった。相撲評論家の中澤潔氏は「他の親方衆から反感、やっかみを買っていたのではないか」と、こう話す。
「角界初の国民栄誉賞といっても、多くの親方は『千代の富士の前に大鵬さんがもらうべきじゃないか』と思っていたでしょう。事実、大鵬が国民栄誉賞を受賞したのは亡くなった後ですからね。箔付けが早すぎたということです。少数派閥の高砂一門であることも不利に働いた。今の角界は最大派閥の出羽海一門の意向を無視して理事長にはなれない。その出羽海一門には、2歳上で理事長に6度選出された故・北の湖(元理事長)がいましたから」

 

■引退後も大将然
 しかし、理事長になれなかったのは政治的な理由だけではない。「やっぱり、性格だろうね」とは、ある親方だ。
「肩で風を切って歩き、人に頭なんて下げたことがなかったほど。現役時代は『横綱』という地位がそれを許してくれたものの、親方になれば話は別。昔から近しい人間に『大将』と呼ばせていたが、九重部屋を継承した後もまさに『お山の大将』だった。年上の親方衆からは『生意気』『礼儀をわきまえていない』と不評を買っていた。かといって年下から慕われていたわけでもない。現役時代に生きの良い若手力士の噂を聞くと、その部屋に出稽古。コテンパンに叩きのめして恐怖心を植えつけていた。勝負の鬼と言っていい厳しさが、協会という組織の中では遠慮のない物言いや強引なやり方になって、年齢を問わず、親方衆からは敬遠されていた」
 別の親方が話を引き取る。

「地方場所に行っても、他の親方と飲みに行くことなんてなかった。連れ立って歩くのは、弟子の佐ノ山親方(元大関千代大海)くらい。今年の理事選で理事に返り咲こうとしていた時も佐ノ山親方が票集めに走っていたが、多くの親方から、『九重親方本人が頭を下げるなら協力してもいいけど、無理だろ?』と言われたと聞いている。おそらく、いつまでも大横綱としての気分が抜けなかったんじゃないか」
 理事長の座だけは手にすることができなかったのは、それなりの理由があるのだ。

 

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