【Mr. rugby 追悼】
10月21日(金)
皆さんこんにちは。
一体、この喪失感は何だろう。
ラグビーよう知らんけど ラグビーが美しいと初めて思ったのは平尾さんのプレーだった、という女性方も多いはず。
今まで見てたスポーツマンで超断トツにカッコイイ男でした。
もう二度とこんな素敵な人は現れないであろう・・・
うちの母親も大ファン 老若男女に愛された人
顔立ちは端正だが数々の試合でタックルで鼻は曲がり、法骨は傷跡だらけ、鋭い眼光、華麗なプレー、にも関わらずユーモア溢れる関西弁の喋りが魅力の人
野球で言うたら 長嶋さん? イチロー?
サッカーで言うたら カズ?
相撲で言うたら 千代の富士?
バレーボールで言うたら 誰や?思い出せない
バスケット、柔道、空手、剣道、水泳、体操、テニス、ゴルフ、レスリング誰やすぐに出てこない
平尾誠二という人は、平尾誠二という唯一無二の存在
昨日平尾さんの突然の訃報を聞き ただただ茫然としております。
平尾さんの突然の死に悲しみに暮れている方は日本中に多くいられると思います。
今日は私の平尾さんへの思い入れを書きたいと思います
中学の頃からラグビーを始めその当時は松尾雄二氏の新日鉄釜石のV7の真っ只中、同志社大学の学生3連覇でとにかく憧れのヒーローでした。
中学生の頃はポジションも同じセンター(12)で平尾さんの試合は欠かさず録画してビデオが擦り切れるほど見て、「ステップの切りタ方、相手を抜くタイミング、キックの蹴り方」など研究していました。
当時は京都の4強のひとつ(伏見工業、花園、同志社、東山)東山高校でラグビーをやらしてもらいました。
同高校のOBで当時現役の同志社大学ラグビー部 元日本代表 綾○高志先輩(東山高校→同志社大→神戸製鋼)が母校に教えに来てくれた際に、「平尾さんにさわられへん」つまり ボールを持って走ってきた平尾さんに手も触れれないほどのステップを踏むというのです。それだけキレッキッレだったのです。
同志社3連覇のあと神戸製鋼で7連覇を達成。その年95年に阪神大震災にあいました。
当時私も神戸で働いていて会社も滅茶苦茶に壊れ、神戸の街も壊滅状態、神戸製鋼所自体も大きな被害を受けました。無論、ラグビーどころや無かった。この頃オリックスのイチロー(年間200安打達成)が活躍し、「がんばろう神戸」をスローガンに翌年日本シリーズで優勝しました。
まさに神鋼ラグビー部とオリックスは神戸復興のシンボルでだっと思う
神戸にいた頃は、神鋼ラグビー部の試合はよく見に行きました。
林さん、大八木さんいる神鋼ラグビーは強かった。生で見る平尾さんは本当にカッコよかった。
ラグビージャージの姿、スーツ姿どれも素敵な人でした。
うちのお客さんが平尾さんが新聞もコラムに書いて内容に感心しておられました。
・・・・・
平尾さん曰く「単なるラグビーという小さなくくりだけでなく、ラグビーみたなもんどうでもよくて・・・」
つまり小さなことに固執したアカンという事を書いておられたそうです。
企業の「リーダー論」「戦略、戦術論」活躍され、ラグビーでだけでなくその他の分野でも影響を与えていました。
バブル崩壊後、ここ25年日本のラグビーが低迷して、去年ようやくエディーさんが日本を南アに勝てるまでに押し上げ、五郎丸君など活躍し、ようやく人気が出てきた矢先に、2019年日本W杯の開催を見れず無念だったろうに
心から尊敬している人亡くなると「いつも自分は誰かにもたれ掛かって生きているんだな」と思うのです。
無意識にその人が心のどこかで自分を支えてくれることを再確認しまう。
伏見工の恩師で山口先生のことばが印象的でした
「私は平尾を叱ったことがない。でも初めて叱ってやりたい。怒ってやりたい何で先に死んでしまうんや!」
平尾誠二は唯一無二の存在



