【りりィ】
11月14日(月)
皆さんこんにちは。
月が最も接近するスーパームーン
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肺がんで急死…りりィさんが語っていた子育てと仕事復帰
享年64歳で永眠
五輪真弓と並ぶ日本の女性シンガー・ソングライターの草分け、りりィさん(本名・鎌田小恵子)が11日、肺がんで亡くなった。64歳だった。1974年の大ヒット曲「私は泣いています」のみならず、最近は女優としても活躍、上戸彩の母親役などで存在感を示した。
長男の樹音(31)はミュージシャンのJUONとなり、ドリームズ・カム・トゥルーの吉田美和(51)と結婚。その息子夫婦らにみとられての最期だったという。
福岡県出身。米国人の父と日本人の母をもち、17歳で母と死別。72年のデビューから2年後、「私は泣いています」が大ヒットし、そのハスキーボイスと天涯孤独のイメージが当時の若者のカリスマ的存在に。気さくな人柄でも知られ、2000年に日刊ゲンダイ連載「あの人は今こうしている」に登場した際は、こう言っていた。
「遠い昔のことよ。当時は歌手になろうとしたわけじゃなく、たまたま歌を覚え、たまたまギターを覚えて弾き語りをしてたら、それが商売になっちゃった。それだけね」
インタビューした新宿駅近くの喫茶店にはスッピンで現れた。83年、ミュージシャンと2度目の結婚、JUONが生まれた後、10年間の休養期間があった。そのことを向けると、こう答えた。
「本格的に活動を再開したのは平成7(1995)年からかな。それまでの10年間は仕事らしい仕事はほとんどしなかったわね。だって、音楽以上にのめり込んでたものがあったんだもの。えっ、それはナンダ? ハハハ、アナタ、クイズじゃないんだから。答えは簡単、子育てよ。ホント、若いころは子供いる人生なんて考えもしなかったし、気ままに暮らしてた、このワタシがよ、子育てにハマりにハマったの。あんまりハマっちゃって、“このままじゃ、子離れできない母親になってしまうんでは?”って本気で心配したくらい、舞い上がってた、ハハハ。でも、そうして納得するまで子育てをしたからこそ、心残りなく、仕事に戻れたんじゃないかしら」
そして歌手や女優として、数々の作品を残した。葬儀は故人の遺志で近親者による密葬で行うそうだ。
本日の逸品
正式名称 メジナ(英名/Greeenfish, Nibbler, Rudderfish,Largescale blackfish)
関西ではグレ
グレ