【永遠の学園 ゲームセット】

4月1日(土)エイプリルフール

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校長は再出発示唆も…PL野球部「復活ありえない」理由

黄金時代を築いた「KKコンビ」(C)日刊ゲンダイ

黄金時代を築いた「KKコンビ」(C)

 60年にわたる歴史に、終止符が打たれた。
 センバツ甲子園のベスト4が出揃った昨29日、春夏通じて甲子園7度制覇の名門、PL学園が大阪高野連に連盟からの脱退届を提出し、同日、受理された。PLは昨夏の予選初戦敗退を最後に休部中。正井校長は脱退届の中で、「平成29年から部員募集再開が決定するまでの間、貴連盟への非加盟を決めさせて頂いた次第です」と復活に含みを持たせているが、その言葉を信じていいのか。
 3月に「永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット」を上梓した、ノンフィクションライターの柳川悠二氏は「復活はまず、あり得ません」と、こう続ける。
「仮に来年から部員募集を再開したとして、入部する生徒がどれだけいるか疑問です。現在、PL学園は1学年50人程度と、生徒数そのものが減少している。野球部がこの惨状では、昔のようなPL教団信者以外の入学希望者も見込めません。付属中学校からの内部進学者で野球をやっている子もいますが、いずれも軟式野球部。高校にも軟式はありますので、そちらに入部するでしょうね。PLは60年前の創部の際も、高野連に生徒数の少なさなどを理由に一度、加盟を断られている。今後、再加盟を希望しても同じ理由で認められない可能性もあります」

高校野球史において、PL学園は強烈な存在感を放った。中でも83~85年に甲子園を沸かせた清原、桑田の「KKコンビ」は一世を風靡。野球ファン以外にもPLの名を知らしめた。プロ野球にあまたの人材を輩出し、校歌で「永遠の学園」と歌われる通り、その栄華は続くと誰もが思っていただろう。
それがなぜ、落日を迎えることになったのか。
前出の柳川氏が言う。
「さまざまな事情がありますが、一番大きいのは度重なる不祥事と、それが改善されない体質です。83年に公称265万人だった信者が、12年には94万人にまで減少。いまや名物の花火大会も縮小され、全国のPL教会の数も減っている。そうした教団運営の事情もあって、不祥事ばかりの野球部がやり玉に挙がった。黄金時代は信者からの浄財を野球部につぎ込んでチームを強化していましたが、それも7年ほど前からありません」

 

■全く無意味だった嘆願書
さらに教団を私物化しているといわれる3代目教祖夫人が、野球部を目のカタキに。かつてのPLなら内部で揉み消せたはずの不祥事を、関係者が積極的に明るみに出すようになった。
13年に部内暴力で河野監督が退任すると、以降は常勤監督不在。公式戦の際は、野球経験すらない正井校長(現校長の弟、一真氏)が監督登録をしてベンチに入っていたこともある。そしてとうとう、「指導者不在」を理由に15年度からの新入部員受け入れを停止した。
もちろん、歴代OBもこうした動きを黙って見ていたわけではない。彼らは何度も学校に嘆願書を送り、野球経験者の監督就任や、部員募集再開を訴えてきた。15年1月にはOB300人の署名を集め、学校に提出している。その願いもむなしく、昨夏の休部、そして今回の高野連脱退だ。

現在、OB会では「KKコンビを育てた中村順司元監督(現名商大総監督)を中心に、軟式野球部を硬式野球部に移行させ、部の存続を図ろう」という意見もあるそうだが……。
「OB会が学校を相手にしている時点で、覆りようがありません。決定権はすべて、教団にあるからです。いくら嘆願書や署名を提出しようが、正井校長には何の決定権もない。15年に提出した300人の署名も、教団幹部に渡っている気配すらありませんからね。OB会が本当に相手にしなければいけないのは教団のはず。ところが、彼らは『それは越権行為だ』と言う。もし、OB会が本気で教団と戦っていれば、野球部は存続できたかもしれない。そう考えると、残念でなりません」(柳川氏)
すべての物事には終わりがある。「永遠の学園」もまた、例外ではなかったということか。

 

本日の逸品

 

春の訪れを感じる瞬間

 

いさざ(しろうお)の踊り喰い

 

今の時期しかありません。