【9.98】

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【桐生9秒98】桐生、重圧に勝つ 気持ち折れそうになるたび起き上がる

2017.09.10 08:27

 

 

 2013年4月29日が、桐生祥秀にとって全ての始まりだった。織田記念国際で、京都・洛南高3年だった丸刈りの少年は自己記録を一気に0秒18も縮め、日本歴代2位の10秒01をマークした。以来、「日本人初の9秒台」という宿命を背負って、先頭を走

 2013年4月29日が、桐生祥秀にとって全ての始まりだった。織田記念国際で、京都・洛南高3年だった丸刈りの少年は自己記録を一気に0秒18も縮め、日本歴代2位の10秒01をマークした。以来、「日本人初の9秒台」という宿命を背負って、先頭を走り続けてきた。 (宝田将志)

 「人生が変わった」という。世界最速の高校生と呼ばれ、電車の中や、食事に行った先で、頻繁に声を掛けられるようになった。一方で、SNS(会員制交流サイト)に友人と楽しんでいる写真を載せると、見ず知らずの人から「そんなことしてないで練習しろ」と辛辣(しんらつ)なコメントを付けられたこともあった。
 タイムが伸びなかった大学2年のこと。寮近くのコンビニエンスストアに行くと、自分を見た女性が、子供に「足の速かった人よ」と教えていた。もはや過去の人扱いだった。「『俺はまだ走ってるぞ』と、思って。そんなこと言われたの初めてで、結構きましたよ、心に」。応援してもらえる喜びと、無意識のうちに身の回りに充満する期待という名の重圧。常人なら心身のバランスを崩していてもおかしくなかった。
走れない
 当時、一度だけ競技を諦めかけた危機があった。リオデジャネイロ五輪前年の15年5月、練習中に右太もも裏を肉離れした。歩くどころか、トイレに座ることもままならない激痛に「もう走れないかもしれない」と覚悟した。幸い数カ月で回復。桐生は、それだけの経験を「もうどっちの足だったか忘れてますよ」と、軽やかに笑い飛ばす。
 「気持ちが折れそうになったことですか? 何回もありますよ。そのたびに起き上がり方が分かった。そこに成長があったかな」。ここに桐生の強さがある。いつまでも過去にとらわれず、鮮やかに切り替え、ただ前を見て進む。だから、走ってこられたのだ。あの10秒01から1594日。注目され、騒がれ、自己記録を更新できなくても。
鍛え直す
 桐生の長所は脚を縦方向に強く速く回せることにある。高校時代からミニハードルを使ったメニューを繰り返すなどして鍛えてきた成果だ。最高速時は世界屈指の1秒間に5歩近く回転する。土江寛裕コーチが世界のトップ選手と比較したところ、接地時間は極めて短かったにもかかわらず、空中時間は平均値だった。「垂直に発揮するパワーが大きく、地面を『点』で捉えるような走りをしている」という。この冬からは、04年アテネ五輪男子ハンマー投げ金メダリストの室伏広治氏に師事して、体を鍛え直してきた。
 「4年間くすぶっていた自己記録を出せて良かった。来年は9秒台をコンスタントに出したい気持ちが強い」。これからは、さらに大きな夢を背負っていくことになる。3年後の東京五輪。6万8千人で埋め尽くされた超満員の新国立競技場。「日本人は短距離走では勝負できない」という固定概念を打ち破り、人類で、たった8人しか立てない決勝のスタートラインを目指す。

 

本日の逸品

 

目一(メイチ)鯛

 

 

 

 

目の一の字が入っていることから メイチだい

 

脂ののって美味い!