【出世頭・貴ノ岩】

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“被害者”貴ノ岩、波瀾万丈すぎる人生 相次いだ悲劇、相撲界では「異色」の存在

2017.11.17 17:15

 横綱日馬富士による暴行事件の“被害者”として一躍スポットを浴びる格好になったのが、東前頭8枚目の貴

 横綱日馬富士による暴行事件の“被害者”として一躍スポットを浴びる格好になったのが、東前頭8枚目の貴ノ岩(27)=本名アディヤギーン・バーサンドルジ。白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱を中心に日本相撲界の一大派閥となっている“モンゴル出身グループ”とは一定の距離を置く“異端児”は、これまで波瀾万丈すぎる人生を送ってきた。(夕刊フジ編集委員・久保武司)
 貴ノ岩はにわかに信じられないほど、何度も悲劇に見舞われてきた。
 モンゴルのウランバートルで兄3人、姉1人がいる5人兄姉の末っ子として誕生。幼少の頃、日本の大相撲放送が生中継されており、現役時代の貴乃花親方の雄姿をみて「いつかは日本にいきたい」と憧れたという。
 波乱のはじまりは8歳。母・アルタンゲレルさんが46歳の若さで心臓病で急逝した。貴ノ岩は中学卒業後、日本行きを決意する。多くの力士を輩出している鳥取城北高校相撲部の石浦外喜義(ときよし)監督(十両・石浦の父)がモンゴルで開催したオーディションに見事合格し、悲願の来日を果たした。
 同校へ相撲留学の形をとったが、この3カ月後、2度目の悲劇が襲う。父・アディアさんが肝臓がんで64歳で急逝したのだ。
 「一家のためにプロになる」と誓った貴ノ岩少年が貴乃花親方との縁を実感したのは、同校相撲部が東京の貴乃花部屋で夏合宿を行ったとき。憧れの親方の目の前で、四股や稽古に懸命に取り組み入門を取り付けた。
 貴乃花親方は、当時一大ブームだったモンゴル人のスカウトには興味を示していなかったが、黙々と稽古に励む貴ノ岩を認め、高校卒業と同時に入門させたのである。
 貴乃花部屋の玄関には、師匠の筆による訓示が掲げられている。『(1)力士道に忠実に向き合い日々の精進努力を絶やさぬ事(2)人の道に外れないよう自身を鍛え勝負に備える事…』など10カ条。貴乃花部屋の“鉄の結束”を支えている。
 貴ノ岩は2009年に初土俵。毎朝5時に起床して、ランニング5キロ、100メートルダッシュ、縄跳び500回、片足跳び50回、最後は二重跳びを失敗しないで連続50回飛べるまで続けるメニューをこなした。
 そして貴乃花部屋創設8年余にして初の関取になった。このとき貴ノ岩は「もっともっと、親方とおかみさん(元フジテレビアナウンサー・景子さん)に恩返しをする」と誓った。
 しかし、その後、貴ノ岩に3度目の悲劇が訪れる。相撲の投げ技などを教え込み「必ず三役にしたいんです」と話していた、部屋付きの音羽山親方(元大関貴ノ浪)が43歳の若さで急逝。両親に続いて、大事な“コーチ役”を突然失った。
 相次ぐ悲劇のためか、貴ノ岩は相撲記者にめったに口を開かない関取の一人になっていた。
 しかし部屋では15人前近く食べる大食漢で、取り組み前に必ず梅干しを食べるルーティンも続けている。関取になって珍しい「銀色のまわし」に締め込みを変えた。おかみさんである景子さんの発案で、本人も気に入っている。
 大多数のモンゴル出身力士たちが故郷を思い「派閥」を組んで相撲部屋を超えたコミュニティーを形成しているのに対し、貴ノ岩は異色。それを「生意気」と受け取られたことが暴行につながったと見る向きもある。
 暴行された直後にも平気な顔をして巡業に参加したのは、貴乃花部屋の厳しい指導があってこそかもしれない。
 今場所の全休はほぼ決定的。となると、来場所は十両に陥落する。相撲関係者の中には「公傷と認めて、十両陥落は免れるようにしてほしい」との声も挙がっているが、果たしてどうなるか。
 暴行発覚後、公の場に姿を現していない貴ノ岩の現状は不明。少なくとも、母国にいる4人の兄姉のためにも、貴ノ岩がこのまま相撲を取れなくなるような悲劇だけは起こってほしくない。

 

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