【闘将逝く】

1月6日(土)

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今日の記事

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星野さんは政治家だった

【星野仙一氏死去】

「絶対あきらめない」…抜群の人心掌握術でマスコミも味方につけた「闘将」

 

 担当記者として星野氏に接したのは、阪神監督就任1年目だった平成14年の1年間だけだが、強烈な印象がある。



 前任の野村克也監督が率いた3年間、阪神はずっと最下位だった。しかも、最後は沙知代夫人の脱税疑惑に絡んだドタバタ劇で辞任。2代続けての“外様監督”としてチームを率いることになった星野氏は、チーム内外に蔓延(まんえん)していた「いくら頑張っても…」といった惰気を一掃しようとしていたように思う。



 「NEVER NEVER NEVER SURRENDER(絶対、絶対、絶対、あきらめない)」をスローガンに掲げて選手の意識改革を図るとともに、口うるさい「虎番記者」を味方につけることも忘れなかった。2月の春季キャンプの期間中、毎日のようにチーム宿舎で担当記者を招いての朝食会を開き、チームづくりや選手起用に関する自身の考え披露した。



 シーズン開幕後の遠征先でも、しばしばティータイムを一緒に過ごす「茶飲み会」を開催。いつの間にか「星野組」とも言える与党メディアグループを形成していった。東京のホテルで開かれたある茶飲み会でのこと。星野氏は「みんな昼食どうや。俺はオムライス」と出席していた担当記者に呼びかけた。記者が注文したのは、全員残らず「オムライス」。10人以上がそろってオムライスを食べる光景は異様だが、星野氏と違うメニューを注文できる雰囲気ではなかった。



 「身内」をつくる手法はそれだけではない。配下の選手本人ではなく、妻の誕生日に花束を贈っていたのは有名なエピソードだが、個々の記者への心配りもきめ細やかだった。当時、暴飲暴食で肥満気味だった私はいきなり、おなかを小突かれた。あっけにとられていると、星野氏の口から発せられたのは「お前、気いつけなあかんで」の言葉。独特のやり方で私の健康に気を使ってくれたのだ。



 星野氏自身も高血圧の持病があり、常に健康不安を抱えていた。シーズン開幕戦の巨人戦では不整脈に襲われた。だが、あくまで平静を装って戦い続けた。



 「闘将」として知られる星野氏だが、個人的には人心掌握術にたけた「知将」、そういう言葉があるのかは分からないが、情け深い「情将」のイメージがある。そして、間違いなく「名将」だった。ご冥福をお祈りしたい。

(北川信行)

 

本日の逸品 

 

今日も魚の入荷が少ないですが

 

石鯛(三重)、活〆つばす(愛媛)

 

 

 

天然もん 状態は最高です!