【手倉森流】

 

1月31日(日) 
皆さんこんにちは。
今日で1月が終わり早いです。
今日の記事  
悔しさが強さの原動力となった
「勝てない世代」をリオへ導いた“手倉森流マネジメント” 
源流には挫折があった
 

2016.01.30

 

 


アジアの頂点を目指し、因縁の日韓戦に臨む手倉森監督。雪辱を果たし、有終の美を飾りたい(桐山弘太撮影)【拡大】

 6大会連続となる五輪出場を決めたサッカー男子のU-23(23歳以下)日本代表は日本時間30日午後11時45分から、ドーハでのU-23アジア選手権決勝でアジア王者をかけて、宿敵韓国と戦う。同世代にとっては2014年仁川アジア大会準々決勝で敗れたリベンジ戦。手倉森誠監督(48)は「勝てない世代」といわれたチームをまとめ、ここまで5戦全勝に導く手腕を発揮した。選手をやる気にさせる手倉森流マネジメントの源流に迫った。 (夕刊フジ編集委員・久保武司)
 「万が一(五輪)出場を逃せばそれは(日本サッカー界の)大きな汚点になる。負けたら自分のサッカー人生が終わる」。今大会は「辞表」を胸にしまっての決戦だったことを明かした指揮官。サッカー人生は順風ではなかった。
 ■挫折
 青森県出身。五戸高時代に双子の弟、浩氏(現日本サッカー協会復興支援特任コーチ)と出場した全国高校サッカー選手権で注目された。
 だが、日本リーグの住友金属(現J1鹿島)では陽が当たらなかった。当時現役だった元日本代表監督のジーコ氏と交代出場した際にブーイングを浴びたことも。当時の鹿島関係者は「プロになるかアマでいるか面接した。手倉森は完全に構想外だった」という。
 鹿島の町がプロ化で沸く中、Jリーグ開幕前年の1992年に契約を打ち切られた。「自暴自棄になって1000万円以上あった貯金を競馬で使い果たし、弟の仕送りで暮らした時期もあった」(同)
 ■覚悟
 Jリーグでの出場がないまま95年に現役引退。28歳で指導者に転身し、山形、大分などでコーチとして経験を積み、転機が訪れたのは2008年、41歳の時。当時J2だった仙台の監督に就任。4季連続で監督が1年で解雇される最悪のチームだったが、「オレには覚悟がある。ベガルタ(仙台)をアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)に進出させるクラブにする」と宣言した。
「男たるものブレずにじれない」を座右の銘に、弱小チームのサポーターが集まる店で毎晩のように酒を酌み交わす一方、選手には「君たちの力を貸してほしい。オレはベガルタを強くしたい」と訴え、09年にJ2で優勝し、J1昇格に導いた。11年には本拠地が東日本大震災に見舞われたが、12年にJ1で2位の好成績を収め、ACL出場の公約を果たした。



 「仙台当時から今も続けているのが、試合で起用しない選手と必ず1対1の個人面談を行うこと。自らがやけを起こした経験から、苦しむ選手の胸中を理解。『おまえたちには可能性がある』と納得させ、チームを一丸にした。今回の五輪予選でも毎試合選手を何人も入れ替えた。間違いなくベガルタを強くした方法で選手をまとめあげた」(仙台関係者)



 ■東北魂



 大震災から学んだのは、「スポーツで勇気や感動を与えられる。それがわかった選手はすごい力を発揮するということ」。今回、あえて仙台出身の佐藤洋平GKコーチを腹心として入閣させた。手倉森監督は五輪出場を決めた準決勝イラク戦後、「大和魂、魂の塊ですよ」と話したが、自身の根底には東北魂もあった。



 明るく冗談好き。「おまえら硬いよ。固いのは意志(石)だけでいい」などダジャレはお手の物。逆境から培った人心掌握術で、リオではメキシコ五輪以来、48年ぶりのメダルを狙う。
今日の逸品  
アオリイカ

 

   

甘味があり美味です! 
ご来店お待ちしております。