【広島・新井】

4月28日(木)
皆さんこんにちは。
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広島カープ出身の選手は厳しさをわかっている
プロ入りも周囲の熱意で 広島新井2000安打に“人の縁”あり

「広島に拾ってもらった」と新井は言う(C)日刊ゲンダイ

「広島に拾ってもらった」と新井は言う(C)

 いつものように泥くさくバットを振った。広島の新井貴浩(39)が26日のヤクルト戦でレフト線に適時二塁打を放ち、史上47人目となる通算2000安打を達成した。
「丈夫な体に生んでくれた両親、そして、僕の場合はたくさんの人にお世話になり、支えられた。『おかげさま』です」
 感慨深げにこう言った新井。広島OBは「新井は人の縁に支えられてきた」と語る。
 快挙を達成した神宮が主戦場だった駒大時代、189センチ、95キロの大型内野手だった新井はプロがノーマークだった選手だ。
 当時の太田監督がその飛距離に惚れ込み、4年時は4番三塁で起用した。しかし肝心の打撃は大学通算2本塁打。投手だった高校時代に右肩を痛めた影響で、スローイングもままならなかった。スカウトの評価は「打撃は粗い。肩が弱い、スローイングが悪い」。当時の担当だった渡辺秀武スカウト(故人)も守備に不安を感じていた。太田監督は社会人の三菱重工入りを勧めることも検討していたという。
「しかし新井は太田監督に『プロに行かせてください』と直談判し、地元の広島を希望していた。駒大の先輩の野村謙二郎氏の自宅にジャージー姿で押しかけ、素振りをしてアピールをしたこともある。周囲が広島の球団幹部に新井を取ってくれと働きかけた。新井の父親は渡辺スカウトに『契約金はいりません。息子の夢をかなえてください』と頭を下げた。広島はドラフト10日前くらいに駒大を訪れ、指名する旨を伝えた。広島に入団したいという熱意が周囲を動かした」(駒大関係者)
 広島には6位で入団。父親が「いらない」と言った契約金は3000万円だった。学生時代から目をかけていた駒大の大先輩・大下剛史氏は翌99年、達川新監督の下でヘッドコーチに就任。猛練習で守備をシゴき、達川監督は1年目からチャンスを与えた。野村氏は「入団した時から、とにかく怒られた姿しか印象がない」と振り返った。
■金本、黒田の存在
 そんな新井が主軸に成長した裏には、金本知憲現阪神監督の存在があった。
「新井が野村氏の自宅で素振りをした日、広島の選手だった金本もその場にいた。金本は『おまえが新井けぇ』と声をかけただけだったが、新井が広島入りしてからは、怠ける姿を見るや『おまえは誰に入れてもらったんか!』と叱咤激励した。入団した経緯も知っているし、よく面倒もみた。そんな金本が猛練習で成り上がっていく姿があったから、新井は頑張れた。07年オフ、涙ながらに広島からFA宣言して阪神に入団したのも、同様にFAで阪神に移籍していた金本の背中を追いかけたい気持ちがあったからだ」(マスコミ関係者)
 新井は1年先輩の黒田博樹にも尊敬のまなざしを向けている。チームメートとして長らくプレー。何度も一緒に食事をし、野球談議に花を咲かせているという。
「14年オフに阪神を自由契約になり、広島復帰を決断した際には黒田に電話で相談している。気になったのはファンの反応だった。『カープが好き』と言いながら阪神に出て行き、移籍直後はブーイングにさらされた。『戻らない方がいいのでは』と悩む新井に、黒田は『戻ったらいいじゃないか』と背中を押した。一方で黒田もメジャーから広島に復帰するにあたり、新井の存在が心強かったようだ」(前出のマスコミ関係者)
 監督時代に中軸に抜擢した山本浩二元監督、打撃指導を施した山本一義氏ら多くの人物に支えられた。スカウトに見向きもされなかった選手が人に恵まれて大記録を達成した。
今日の逸品  

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あさりの濃厚な出汁とベシャメルソースが旨い! 
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