【名俳優逝く】

2月23日(金)

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今日の記事

オリンピックネタはちょっと休憩

びっくりした 

苦労の人だ

咲きの名バイプレーヤー 大杉漣さんは気遣いの人だった

「本当なのか?」



 映画関係者を中心に、驚きとともに深い衝撃と悲鳴が駆け巡った。日本を代表するバイプレーヤー、大杉漣(本名・大杉孝)さんの訃報が、所属事務所のHPから伝えられた。享年66。21日午前3時53分、急性心不全による急死だったという。



 最期を迎えたのは出演中のテレビ東京系連ドラ「バイプレイヤーズ」のロケ先の千葉県内で、亡くなる前日も撮影を行っていたという。

 

■芝居への情熱と周囲への気配り



 遅咲きだった。1951年、徳島県生まれ。明治大を中退し舞台俳優となり、転形劇場に入る。ピンク映画にも多数出演しつつ、演技を磨いたが、転形劇場は88年に解散し、37歳で活動基盤を失ってしまう。それでもVシネマで細々と俳優を続け、40歳のときに受けた北野武監督「ソナチネ」のオーディションが転機に。

スポーツ紙出身の映画ジャーナリスト鈴木元氏が言う。

「初めてインタビューさせていただいたのが98年の夏、『犬、走る』の公開前でした。スクリーンではこわもての役柄がさまになり、そのイメージを持たれる方もいらっしゃると思いますけど、素顔は気遣いと気配りの人。インタビューではサッカー選手を目指して上京しながら、けがでの挫折、無言劇の転形劇場での経験、ピンク映画時代の苦労など、とても楽しく語ってくださり、予定の1時間が2時間半になったのを覚えています。『それで大丈夫なの? こんな話もあるよ』と、にこやかに、ちょっと照れた笑顔を向けてくれるのが印象的でした。最近も趣味でサッカーを続けられていたし、お元気だと思っていたので、あまりに突然の訃報が今も信じられないでいます」



 これまで大病を患ったとか、持病があったという話も公にはないのだから、その死を受け止められない関係者が少なくないのも当然だろう。



 数々の助演男優賞を受賞した98年、スポーツ紙記者の選ぶブルーリボン賞では、「ピンクリボン賞とブルーリボン賞の両方を取ったことがあるのは、おそらく僕ぐらいのものでしょう」とおどけていた。

 

■「どんな役柄でもいいから」



 記者たちに囲まれての受賞インタビューでは、職業によって違うというたばこの吸い方を実演。「やくざはね」と、顎をひいて、口元で火をつけるしぐさを披露し記者をうならせた。「次はサラリーマンをやってください」とのリクエストには、「君は監督かプロデューサーか」と質問者に突っ込み、笑いを取っていたという。



 自らも成功するまでに苦労したからだろう、気配りの人は夢を追う者に優しく、その背中を押す情に厚い男でもあった。

大杉さんは売れっ子になってからも、若い映画製作者への協力を惜しまなかった。



「ある大学の映画研究会からのオファーを受けたときは『俺はプロの役者だから、タダというわけにはいかないんだ』と答えたそうです。それで学生たちがお金をかき集め、大杉さんの参加のもと、2泊3日の新潟ロケを行い、撮影が終わってギャラを渡そうとしたところ、それをそのまま学生たちの手に戻して、『君たちの映画のために使って』と言った。そういうエピソードがいくつもあります」(鈴木元氏)



 スクリーンの外でも、ドラマのように、接する人々の心に感動を刻んでいた大杉さん。その早すぎる死はあまりにドラマチックともいえ、ファンも関係者も現実が受け止められず、泣くこともできないでいる。

 

本日の逸品

天然シマアジ

 

 

旨味が詰まっています。