【鉄人逝く】
4月26日(木)
皆さんこんにちは。
昨日は寒の戻りで寒かったです
今日の記事
「人格者」
私の中では鉄人と言えば
ルー・テーズ と 衣笠祥雄だ
京都の女性とアメリカの黒人とのハーフ
昔の事だからかなり苦労されたと思います
衣笠祥雄は弱者に優しく、ときに厳しく
19日のDeNA対巨人戦のテレビ中継を見ていて、アレッと思った。解説の衣笠祥雄の声がかすれていたからだ。「どこか体調でも悪いのかな」と心配していたところでの訃報である。驚きを禁じ得ない。
私が広島で衣笠と同じユニホームを着たのは81年から83年の3年間。すでに衣笠はカープだけでなく、セ・リーグを代表する打者だったが、普段は物静かな、温厚な選手だった。
味方の選手が大事なところでミスをしても、顔色ひとつ変えない。まして批判したり、文句を言ったりもしない。特に若手や立場の弱い選手に対しては優しかった。
しかし、単に優しいわけではない。厳しさもあった。後に先発、救援で活躍する大野豊がオープン戦でふがいない投球をした。大野を呼ぶと、「ボール球ばかり投げるな。打たれても構わないから、逃げないでどんどん攻める投球をしろ!」と叱咤激励していた。
野球選手は活躍して有名になればなるほど、得てして「俺が、俺が」となりがちだが、衣笠は例外だった。当時、カープには江夏豊、高橋慶彦といった個性の強い選手がいた。彼らが衣笠とは親しく付き合っていた。人柄のなせることだろう。
■十八番は「聖者が街にやってくる」
地元の広島でも衣笠の評判はよかった。タクシーの運転手は、「○○のところに迎えに行くのは嫌だが、衣笠のところには行きたい」と話していた。衣笠が誰に対しても偉ぶらず、自然に接していたからだろう。
衣笠の娘さんが友人とタクシーに乗ったとき、娘さんだと知らない運転手から、「ワシは衣笠の大ファンや」と言われて、どう返事していいか恐縮したとも聞いた。
歌もうまかった。独特の雰囲気、リズム感を持ち、アメリカのジャズ「聖者が街にやってくる」などは玄人はだしだった。ただ、それをひけらかしたりすることはない。また服装のセンスもよかった。
選手としての実績も人柄も素晴らしいのに、広島の監督にはならなかった。聞いた話では、本人の強い意志だったそうだ。選手としての晩年に当時の松田オーナーから「現役を辞めたらカープの監督に」と要請されたものの、「私はやりません」と丁重に断ったという。
監督の重責や家族の負担、少年時代からの苦労、自己顕示欲のなさ……さまざまな要因が重なって、そう決断したのかもしれない。野球人としても人としても、球界は得難い人材を失った。
合掌。
(小川邦和・野球評論家)
本日の逸品
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