【永遠のYoungMan】

5月19日(土)

皆さんこんにちは。

今日は肌寒いです。

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まだ63歳早すぎる

西城秀樹さん(C)日刊ゲンダイ

西城秀樹さん

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 ヒデキ死す――。先月25日に入院、歌手の西城秀樹が心不全で人生の幕を閉じた。63歳だった。追悼・西城秀樹さん 貫いたスーパースターの矜持と美学

1955年、広島県生まれ。72年に「恋する季節」でデビューし、野口五郎(62)、郷ひろみ(62)と「新ご三家」として人気を博した。「傷だらけのローラ」など次々とヒット曲をリリース、YMCAの振り付けで有名な「YOUNG MAN」は28枚目のシングルとして80万枚を超えるセールスを記録した。またアニメの「ちびまる子ちゃん」中で“憧れのスター”として登場し、子供から大人まで広く愛された。

「3月ぐらいに事務所移転のご案内をいただき、住所がご自宅に変わり『お恥ずかしながら、当分予定も入れていないので』と伺っていたので心配していました。周囲に迷惑をかけないよう、整理されていたのでしょう。そういう気遣いも西城さんらしいです」(音楽関係者)

ずばぬけたアイドル性で一世を風靡したが、ヒデキは“プロデュース力”にも長けていた。

「西城さんはレッド・ツェッペリンなど洋楽好きで、マイクスタンドの振り上げ、巨大クレーンで宙吊りになって歌う、ペンライトを振る、シースルーの衣装、野外ステージ公演など実は秀樹さんが日本初。全てご自身のアイデアだったそうです。会場と一緒に歌うという『YOUNG MAN』のスタイルもご本人の発案。ウッドストックに影響を受け“野外イベントを誰よりも早くやりたかった”とおっしゃっていたり、日本の音楽シーンを変えた方でした」(松竹DVD「西城秀樹還暦記念企画 ブロウアップ ヒデキ」担当者)

2003年に脳梗塞を発症、11年に再発してからは半身にまひが残り、体が不自由になってもステージに立ち続ける姿は共感を呼んだ。退院後は毎日、朝9時から2時間はリハビリ、ボイストレーニングを40分間こなし、プールではアスリート並みのハードな歩行訓練もこなし、還暦コンサートを成し遂げた。日刊ゲンダイ本紙の3年前のインタビュー(写真)では「体が萎縮してしまったのでリハビリは悲鳴を上げるほど痛いですよ。でも、何とかしたいから。歌には音符があるから発声しやすい。声量も変わりません」と語っていた。子供たちの父兄参観には必ず出席し、ディズニーランドに連れて行くイクメンでもあったヒデキ。芸能リポーターの川内天子氏がこう言う。

「2回目の脳梗塞後にまひの残った体で会見に立たれた姿が印象的でした。言葉もうまく発せない状態でも、過去の栄光にとらわれずに歌いたいと宣言する姿は病気を抱えている人に勇気を与えてくれました。それだけに、もっと長生きして勇気を与え続けて欲しかったです」

ありのままの自分を隠さまずに見せる生きざまこそが彼の美学であり、スーパースターたるゆえんだろう。

本日は満席で御座います。

またのご来店お待ちしております_(_^_)_