【新井君引退】

9月8日(土)

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今日の記事

とうとう引退か・・広島でよく頑張った

阪神時代に金本が新井くんいじりをしていたことを思い出す。

入団は“コネ”だった…広島・新井貴浩の壮絶プロ人生20年

涙はなかった(C)共同通信社
涙はなかった(C)共同通信社

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 12球団のドラフト候補には入っていなかった――。

5日に現役引退会見を行った広島の新井貴浩(41)。通算2200安打、319本塁打を誇る男も、アマ時代はプロ入りすら危うかった。
■「契約金はいりません」

1998年ドラフト6位で広島に入団する当初から取材する元スポーツ報知記者の駒沢悟氏はこう語る。

「新井にはプロ志向があったものの、プロの評価は打撃は粗く、肩が弱い、スローイングに難があるという判断。しかし本人は諦めなかった。駒大の先輩である野村謙二郎(前広島監督)の自宅で素振りを見てもらい、推薦してほしいと頼み込んだ。当時の太田監督も、『伸びしろがある。プロに入れてやりたい』との思いがあった。新井の父親は担当の渡辺秀武スカウト(故人)に『契約金はいりません。息子の夢をかなえてください』と頭を下げた。さらに駒大OBでその年に達川監督のもと、ヘッドコーチ就任が決まっていた大下剛史氏にもすがった。こうしたコネもあり、ようやく獲得へのゴーサインが出た。広島が指名挨拶をしたのはドラフト10日ほど前。当初は8位で指名する予定だったとも聞いています」

 入団当時の監督だったソフトバンクの達川光男ヘッドコーチはこの日、「どうしてプロ野球に来たんかなという感じ。絶対に3年以内でクビになると思った」と述懐したが、それも当然だろう。

新人だった99年の日南キャンプ。守備はおろか、打撃練習でもなかなかバットの芯に当たらない。駒沢氏は、「大下ヘッドには無理やり入団させたという思いもあってか、泥だらけになるまでノックをしていたし、新井もそれに食らいついた。手の豆が何度もつぶれるくらい、誰よりもバットを振っていた」と言う。

■ケガをして反省の丸坊主に

「最近も球場で挨拶した時に『元気です』と言っていましたし、引退と聞いたときは驚きました」とは、元同僚でテレビ解説者の山内泰幸氏(45)。

「新井が新人だった年のキャンプで、2人とも丸坊主にしたんです」と、当時を振り返る。

「キャンプ前半にふくらはぎを肉離れしてしまい、早朝にリハビリ組がいる広島・大野練習場に強制送還された。新井も同時期にリタイアし、広島で一緒にリハビリに取り組んだ。ケガが癒え、いざ日南に再合流というタイミングで、反省の意味を込めて、確か、寮にあったバリカンで一緒に頭を丸めました(笑い)」

さらに山内氏は言う。

「当初は守備では全く動けなかったし、一塁守備の際に、アウトカウントを間違えてボールを一塁コーチにトスし、走者の生還を許したこともある。山本浩二監督時代の2003年には開幕から4番を任されるも、プレッシャーのあまり『4番を外して下さい』と首脳陣に直訴したこともあった。ただその裏では、当時ブルペン捕手だった水本勝己二軍監督と毎日欠かさず、早出特打をやっていた。水本さんは『阪神にFA移籍するまで続けていた』と言っています。決して自分に妥協することなく、血のにじむような努力をしていました」

 新井がアニキと慕う金本知憲(現阪神監督)は、広島時代、新井がミスをするとよく怒ったという。

「おまえは誰に入れてもらった? 先輩の顔をつぶすようなことはするな」

08年に阪神にFA移籍してからは不遇をかこったこともある。前出の駒沢氏が言う。

「08年北京五輪で腰椎を骨折してから、背中と腰の張りや痛みと闘ってきた。今も完治はしていないと思います。自ら阪神を自由契約になった時には『僕はもう、阪神に必要とされてないんですよ』と話したことがありました。それが広島に復帰して、もう一度鍛え直した。『打撃は無限大です』と言っていたが、広島復帰後も打撃は進化した。下半身をうまく使って、逆方向へうまく打つようになりましたから」

20年の壮絶なプロ生活は間もなく終焉を迎える。

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