【ショーケン逝く】

3月30日(土)

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今日の記事

「ショーケン」由来はこうだったんだ

好き放題してきたから本人も後悔無い人生だろう

結婚4回逮捕4回…萩原健一さん“希代のモテ男&モメ男”伝説

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いしだあゆみとの記者会見(1980年)/(C)日刊ゲンダイ

いしだあゆみとの記者会見(1980年)

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「最期は、とても穏やかで安らかに、ゆっくりゆっくり、眠るように息をひきとりました」

こうコメントしたのは理加夫人(モデルの冨田リカ)。しかしながら、理加夫人が4度目の結婚相手であることからもわかるように、ショーケンの一生は、眠るように穏やかな最後とは対極の、波瀾万丈の芸能人生だった。

GS全盛時代を経て、ドラマ「太陽にほえろ!」(72年)のマカロニ刑事役で人気俳優としてのポジションを確立。その後は「傷だらけの天使」(74年)、「前略おふくろ様」(75年)などに主演し、代表作多数。故黒沢明監督や脚本家の倉本聰氏からも高く評価されたキャラクターと演技力は文句のつけようがない。だが、高まる人気と名声とは裏腹に、これほど毀誉褒貶の激しい芸能人もいなかった。

私生活では4度の結婚、4度の逮捕。交際が明らかになっているだけでも岸恵子、江波杏子、范文雀、桃井かおり、小泉一十三(75年結婚、78年離婚)、いしだあゆみ(事実婚)、藤真利子、前橋汀子、倍賞美津子、石田えり、一般女性(96年再婚、06年離婚)、冨田リカ(現夫人)というモテ男ぶり。

萩原健一さんが明かしていた“ショーケン”の由来と芸名秘話

東京・北区の不良少年だった萩原は私立聖橋中学時代から赤坂や六本木まで遊び歩いており、当時、不良のたまり場で「いい顔をしていた」安岡力也(故人)とも交流があったという。そんな萩原がある日、地元北区にある朝鮮高校の番長が仕切るパーティーで突然、ステージに上げられたことがショーケンを名乗るきっかけになったという。

萩原 番長が会場でクローク係をやっていたボクに「ショーケン、おまえが歌え!」と、突然、指名されたわけ。

梨元 その頃から「ショーケン」と呼ばれていたんだ。本名は「健一」とは違うんじゃなかった?

萩原 本名は「萩原敬三」。だから家では「敬ちゃん」とか「敬坊」と呼ばれていたんだけど、不良仲間内ではみんな「ショーケン」。

梨元 どうして?

萩原 その朝鮮高校の番長の下の名前が「憲」といってね。「ダイケン」と呼ばれていて、ボクはその弟分的な感じで見られていたから「ショーケン」と。他の中学の番長で「チューケン」と呼ばれていたヤツもいた。

梨元 そのダイケンに指名されたって、それまで歌ったことはあったのかな。練習してたとか?

萩原 いや、まったくなかった。それこそイヤでイヤでね。でも、断るわけにはいかない。もうやけくそ。ビートルズの「マネー」とアニマルズの「悲しき願い」を歌った。

萩原 その時、芸名も普段「ショーケン」と呼ばれていたので、姓名判断もやってもらって「健一」とした。要するにニックネームが先にあって、芸名が生まれたわけ。

本名のままならその後のショーケンの活躍はなかったかもしれない。

■シナリオライターへの転身意欲も…

その一方、83年には大麻不法所持で逮捕。翌年には飲酒運転で人身事故を起こして逮捕。当然、ワイドショーや週刊誌の好餌となり、85年には倍賞美津子とのツーショット写真を撮られてカメラマンと編集者に暴行、書類送検。04年には再び交通事故を起こして現行犯逮捕。同年には映画プロデューサー恐喝未遂で告訴され、翌年に逮捕とまあ、ムチャクチャである。

「ショーケンを取材に行くときは一人で行くな。殴られても止める人間がいないからといわれたものです」と当時を振り返るのはジャーナリストの二田一比古氏だ。

「誰もが映画やドラマに起用したい個性派俳優なのですが、トラブルを恐れて起用に二の足を踏むことも多かったのがショーケンです。現場で共演者と揉めたり、途中降板したりはしょっちゅう。それでも共演した女優が魅了され受け入れてしまうのがショーケンでした。ゴシップを挙げれば本当にきりがない」

本日の逸品

天然 活〆 いしだい

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朝泳いでいたのを〆ました。

明日くらいに旨味が回ってきます