【才能はずば抜けていたが・・】

3月31日(日)

皆さんこんにちは

3月も今日で終わり。

今日の記事

2月に亡くっていたようです。

真面目にやれば間違いなく日本人最強横綱だったろう

元横綱・双羽黒、北尾光司さん死去 ケタ外れの才能に翻弄された相撲人生 ちゃんこの味付けめぐり師匠と衝突…廃業へ

また昭和の土俵を彩った元横綱が逝った。それも55歳という若さで。慢性腎不全のため2月10日に千葉県内の病院で死去した第60代横綱、双羽黒の北尾光司氏。師匠の立浪親方(元関脇安念山)と対立して失踪騒動を起こした破天荒な横綱として知られる。晩年は相撲界から離れ、闘病生活を送っていたという。

努力に勝る天才なしというが、世の中には努力を超越したケタ外れの才能の持ち主もいる。それが双羽黒だった。

三重県津市出身で相撲を始めたのは小学校時代。中学を卒業するとき、すでに身長が195センチもあった。飛びぬけた身体能力の持ち主で、稽古したくても中学内には相手が見当たらず、近くの高校に出稽古していたが、そこでも勝てる相手はいなかった。

中学を卒業すると、鳴り物入りで立浪部屋に入門。早くから「末は大関、横綱、間違いなし」と誰もが注目する逸材だったが、ただ一つ、大きな欠点があった。兄弟子たちからちょっと厳しく稽古をつけられると、すぐ「痛い、痛い」と音を上げる癖があった。

「故郷に帰らせていただきます」と言って部屋を飛び出したこともあり、師匠も腫れものにでも触るようにして育てざるを得なかった。これがわがままを助長し、1987年暮れの突然の廃業劇の伏線になった。手に余ったのだ。

身体能力が高く、何をやらせてもうまかった。特筆すべきは上腕のパワー。まわしを取って、相手を引きつけながら前に出る。これだけでほとんどの力士は抵抗できなかった。強すぎるあまり、立浪部屋の先輩からは〈あんなのと稽古したら、こっちが壊される〉と敬遠されていたほどです。恵まれた体格とずばぬけた身体能力から、いまだに角界では「北尾最強説」が根強く残っている。285キロの小錦の右ヒザをサバ折りで破壊した取組は、いまだに語り草だ。

 ただ、出世はすこぶる順調で、86年初場所後には大関、同年名古屋場所後には22歳の若さで横綱に昇進した。優勝は1回もなかったが、「磨けばダイヤモンドになる」と当時の高橋義孝・横審委員長も199センチ、151キロの素質に目がくらんだのだ。

こんなに期待された双羽黒だったが、8場所後にこれといった成績も残さないまま、ちゃんこの味付けをめぐって師匠と激しく衝突し、24歳4カ月で廃業することになる。その引き金となったのが次のひとことだった。

「こんなちゃんこが食えるか」

横綱在位8場所は昭和以降2番目の短さ。もし暴走せず、真面目に現役生活をまっとうしていたら、大相撲史もまったく違ったものになっていたに違いない。31回優勝の千代の富士も「もし双羽黒がいたら、こんなに優勝できなかった」と述懐しているのだから。

廃業後の双羽黒はプロレスラーやスポーツ冒険家などになったが、ここでも自分に甘い性格が災いし、大成しなかった。03年には立浪部屋のアドバイザーに復帰したが、13年から闘病生活を送って音信不通になっていた。

才能は、ときに才能を殺す。双羽黒の訃報を聞き、いろんな意味で残念で仕方がない。(大見信昭)

本日の逸品

能登半島産 絹もずく

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口ざわりが気持ちいい

酢物、椀物に合います