【医学エロ漫談】

4月15日(月)

皆さんこんにちは

今日の記事

子供頃よく見ていたな。面白かったな、好きだったな

卑猥な事しゃべっているのに全然やらしくない

むしろ品のある漫談だ。男性より女性にうけいていたな

訃報が流れると、ケーシーさんのネタの動画の再生回数がぐんと上がった。悲しむべきときに、また笑ってしまう。

ケーシー高峰さん死去 舌がん復帰時も“エロ”会見「リハビリは女性とキス」 ピンク映画に出演も 

白衣に聴診器姿で「セニョール」「グラッツェ」といった怪しげなラテン言葉を駆使したエロ医学漫談で知られるタレント、ケーシー高峰(たかみね、本名・門脇貞男=かどわき・さだお)さんが8日、肺気腫のため入院先の福島県いわき市の病院で死去した。85歳だった。山形県出身。俳優としてもピンク映画から重厚な作品まで幅広く活躍した。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は妻、詠子(えいこ)さん。

関係者によると、昨年4月ごろに肺気腫と診断され、同9月以降は仕事を控えて、30年以上前に移り住んだいわき市内の自宅で療養。約1カ月前から体調を崩し、同市内の病院に入院、家族らに看取られて旅立った。

家業を継ぐため日大医学部に入学するも、ジャズやラジオに傾倒し芸術学部に転部、芸人の道へ。その芸名は脳外科医を描いた米ドラマ「ベン・ケーシー」と、名女優の高峰秀子さんから取ったもの。

「セニョール」「グラッツェ」といった怪しいラテン言葉は、東京外語大スペイン語学科出身の商社マンだった父の影響。1970年代にはテレビ番組の司会などで人気を博す一方、俳優業に進出。

70年に「喜劇 冠婚葬祭入門」で映画に初出演し、ピンク映画にヤブ医者役のコメディリリーフとして出演する一方、「遠雷」「楢山節考」「塀の中の懲りない面々」などで個性を発揮した。ドラマにも数多く出演し「夢千代日記」「新 事件」「木更津キャッツアイ」などで脇役として存在感を示した。

病との付き合いは長く、2000年代には病と闘うことに。03年には持病の腰痛が悪化し腰部脊柱管狭さく症を発症。05年には舌がん(舌白板症)が見つかり30針を縫う手術を受けた。

ケーシーさんといえば何と言ってもエロ。舌がんからの復帰会見も相当なもの。「“タン”キュー“ベロ”マッチ」にはじまり、「医者からはリハビリはいろんな女性とキスすることと言われた」「僕の次の病気は子宮がん」と舌の回りもなめらかだった。

下ネタがはじまる。食生活などから酸性に偏りがちな女性の体調に黒酢がいいとホワイトボードで講義し、「一滴でも垂らせば」とこう締める。

「いいマンズワインになりますから」

時事ネタもよく切った。北朝鮮問題が取り沙汰されると、こうだ。

「どういうおっぱいがいいかは、乳房の大きさではなく、乳首で決まる。ピョンと出て、触るとイヤンと感度がいい。これをピョンヤンと言う」

■困ったような笑った小川彩佳アナ

「晩年まで凄かったともっぱらなのが、昨年1月にテレ朝『報ステ』に生出演したときのことです。山形県酒田市の玉簾の滝からの中継で、雪の降る大寒波のなか、トレードマークの白衣を着て、下ネタを連発していた。『宿出るときに排尿しようと思ったんだけど、ムスコは元気だった』とはじめ、結局、我慢したまま撮影がはじまった。『これをシッコー猶予という』。目をパチクリさせた小川彩佳アナの困ったような笑いがまた傑作で、『さすがドクター』と関係者も盛り上がったものです」(スポーツ紙芸能デスク)

このコーナーは酒田市が美人大国だと続き、ある美人のお嬢さんが大名に見初められ、大名に呼ばれていったとして、ケーシーさんはこうぶったそうだ。

「3人の大名が、代わる代わるその美人を犯してしまったんだって。これを『3キン交代』と言う」

エロ医学漫談の源流については、1970年10月31日発行の夕刊フジ「ぴいぷる」欄でこう語っている。

「まあ、こどものころのお医者さんごっこの延長ですね。うちが医者なもんで、道具はそろってる。本物の聴診器を持ち出して、女のコを診察したり、ね。あれ、楽しいモンだよ」

94年には死亡説が流れたことも。出演依頼を断る方便として健康上の理由を挙げたところ、尾ひれが付いて死亡説まで広がったのだ。このときはさすがのケーシーさんも「びっくりしたよ」と苦笑い。

今度は本当にお別れだ。アディオス。

本日の逸品

鹿児島産 本まぐろ赤身

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綺麗な赤身です