【陸上女子の名伯楽逝く】

4月26日(金)

皆さんこんにちは

今日の記事

市船で優勝させているんだな・知らなかった

当時平凡な有森、高橋を一流のランナーを育てたてもんな

千葉真子も佐倉クラブに門下生だったような・・

恩師が明かす小出監督 指導者への第一歩と知られざる苦悩

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シドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子と小出義雄監督(C)日刊ゲンダイ
シドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子と小出義雄監督(C)

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「危篤の連絡を受けたのは3週間前だったな……」。陸上女子長距離の指導者として2000年シドニー五輪マラソン金メダルの高橋尚子、1992年バルセロナ銀、96年アトランタ銅の有森裕子ら数々の名選手を育てた小出義雄氏(80)が24日午前、千葉県内の病院で肺炎のため死去した。その一報を聞いた順大時代の恩師で元陸連専務理事の帖佐寛章氏は、冒頭の言葉とともに無念の表情を見せた。小出氏が指導者の道に進むことができたのは、帖佐氏の助けが大きかった。

小出君は家業(農家)を継ぐため千葉県立山武農業高に進んだ。全国高校駅伝を走り、東京―青森駅伝の千葉県代表にもなっている。

その後、家を飛び出して実業団に進むのだが、『どうしても順大に入って、将来は体育の教師になりたい』といって相談に来た。22歳の時だったかな。当時私は順大の監督だったので、グラウンドを走らせると背が小さくてチョコチョコしてるが、箱根駅伝なら走れると判断したものの、うちの大学は4浪は取らなかった。私は大学と交渉し、受験勉強の面倒も見た。試験は無事通ったが、順大は全寮制だ。ところが小出君は『うちは貧乏農家で寮費は払えません』という。また大学と交渉し、自宅通いを認めてもらった。

 練習は真面目だった。箱根駅伝は1年5区、2年8区、3年は8区を走った。4年は故障で欠場だ。在学中は関東インカレのマラソンで3位になったこともある。彼は運が良かった。小出君の学力では無理だと思っていたんだが、千葉県の公務員試験(公立学校教員採用試験)に一発で合格。長生高校の教師になって、念願の陸上指導者になった。でも、佐倉の自宅から遠く、数年後には地元の佐倉高に移ったよ。

後に船橋市教育長になる市立船橋高校の市川(恭一郎)校長から『全国高校駅伝で優勝したい。誰かいい指導者はいませんか』と相談された。市川校長とは彼が市立習志野高の教諭時代からの知り合いでね。それならと、指導力を買っていた小出君を紹介したんだ。すると3年ぐらいしたら全国駅伝で優勝した。そしたら2年後にリクルート(ランニングクラブ)の監督になった。私に何の報告もないから怒ったね。それを人づてに聞いたんだろうな。まったく音沙汰なしだったが、2年ぐらいしたら自宅に訪ねてきたんだ。玄関で追い返したよ。『帰れ!』ってね。まあ、リクルートで出会った有森、高橋という平凡な選手をオリンピックのメダリストにするんだから、本当に指導力は素晴らしいものがあった。

彼の指導の特徴は褒めて伸ばすこととよくいわれるけど、本当は短気な男なんだ。自分を殺して、我慢して選手のことはめったに怒らなかった。それがストレスになっていたから、浴びるように酒を飲んでいたんじゃないかな。たばこも吸ってたしな。彼との思い出は尽きないが、日本の陸上界、そして女子マラソン界のために本当によく頑張ってくれた。感謝の気持ちでいっぱいだ。安らかに眠ってください。

(談=帖佐寛章・元陸連専務理事)

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ホタテ貝柱のオーブン焼き

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