【ジャニー帝国創始者】

6月28日(金)

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ジャニー氏 タレント発掘「天才的千里眼」伝説とその未来

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ジャニーズ事務所(C)日刊ゲンダイ
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「ジャニーさん」もしくは「社長」と呼ばれ、少年たちと親身に、敬語なしでのコミュニケーションを密にとっていた。あまたの売れっ子を抱えるジャニーズ帝国の創始者・ジャニー喜多川社長(87)は、東西あわせて300人超とされる研修生一人一人にまで、思い出を残している。担当のベテラン記者が言う。

「タレント発掘の千里眼は天才的というしかない。1960年代初頭、ジャニーさんが代々木にあった駐留米軍宿舎『ワシントンハイツ』で少年野球チーム『ジャニーズ』をつくったのが今のジャニーズの原型なのですが、2006年にジャニーズ入りした中山優馬も、もともとは野球少年。大阪の小学生で、軟式野球に打ち込み、それほど芸能界に興味津々だったわけじゃなかったところ、ジャニーさんが惚れ込んで自らスカウトしたのです」

たのきんトリオ、シブがき隊、光GENJI、SMAP、嵐と、個性的な男性アイドルをつくりつづけて半世紀。ジャニー氏は黒子に徹し、その姿を公にすることはほとんどなかった。

野球帽を目深にかぶり、いつも黒いサングラスをしていた。横浜アリーナなどでマスコミ取材日があるときは、掃除のおじさんに間違えられるほど地味。コメントを求めてはいけないような独特の雰囲気がありました」と前出のベテラン記者は振り返る。

そうした姿勢に少し変化が見られたのが2015年、演出家の蜷川幸雄氏のラジオ番組「クロスオーバートーク」(NHKラジオ第1)に出演し胸中を語ったのだ。蜷川氏から「いい子だと思っても、ちっとも成長しない子だっているでしょ?」と向けられると「いない」と即答し、こう答えた。

「30年も50年もやってるけど、僕は失敗はないと思いますよ。人間はやっぱりそれぞれみんないいとこあるの。どの子だってみんな人間の美しさってあるんですよ」

かねてタレントの育成と演出に特化し、経営は姉のメリー喜多川氏に任せてきた。このときは姪の藤島ジュリー景子副社長とSMAPの元チーフマネジャーが派閥闘争を繰り広げていたが、ジャニー氏の男性タレントへのぶれない情熱が際立っていた。今後について、引き際について聞かれるとこう言った。

「タレントには一生というのがあるから、ポーンと捨てる気は全然ない。彼らが生きる限りは絶対やっていかなきゃいけないという信念はあります」

■引き継ぎは完了も…

その言葉通り、18日に東京・渋谷区の自宅マンションで倒れ、病院に救急搬送され入院となるまで、仕事に打ち込んだ。3月に公開された「映画 少年たち」で製作総指揮を務めたほか、最近も車椅子でジュニアの舞台に顔を出して、あれこれ指示を出していたという。病室には中居正広ら人気タレントが大挙して見舞いに訪れ、周辺の道路が彼らの車で渋滞した。ジャニー氏が「芸能界の父」「生みの親」として、彼らにとってどれだけ大きな存在であるかを世間に知らしめる結果となった。

「事務所の経営に関しては、すでにメリーさんから次期社長の藤島ジュリー副社長にかじ取りが移り、新体制としてスタート。スカウトに育成、演出についても、ジャニーさんのイズムを体現する滝沢秀明がタレントを引退し、引き継いでいる。滝沢がその決心を固めたとき、ジャニーさんの喜びようったらなかった。ちょっとの間もつくらず、ショーにアトラクションを盛り込むジャニー流を継承しつつ、出演タレントの体力も考慮するのが滝沢流。ジュニアからも慕われ、もうプチ・ジャニーさんという感じですよ」(関係者)

50年にわたり日本の芸能界を牽引してきた異能の才人、ジャニー喜多川。すでにあらゆる面での引き継ぎは完了しているが、ジャニーの前にジャニーなし、ジャニーの後にジャニーなし、ということだけは確かである。

本日の逸品

小鮎(こあゆ)

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天ぷらでどうぞ!