【履正社が初優勝】

8月23日(金)

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解説の古田が見応えあるいい試合だったと語っていた

予想通り履正社が奥川君の球を捉えて、履正社が投手が星陵打線を小失点に抑えたのが勝因だった

履正社が初優勝! 星稜・奥川VS履正社・最強打線、決勝対決の影に“しくじり監督”対決 全国高校野球 

第101回全国高校野球選手権大会は22日、兵庫県西宮市の甲子園球場で決勝が行われ、履正社(大阪)が星稜(石川)を5-3で下して、初優勝した。激突した星稜・林和成監督(44)と履正社・岡田龍生監督(58)の半生を振り返ると、世代は違えど、奇妙な共通点が浮かび上がる。大会屈指の右腕、奥川恭伸投手(3年)を擁して勝ち上がった林監督は、今春の選抜で相手校のサイン盗みを疑い、その後の対応などで指導自粛処分を受けた。対する岡田監督は強力打線で決勝に駒を進めたが、かつて、選手に対する行きすぎた指導で半年間の謹慎処分を受け、自らの指導を根本的に見直す転機があった。(片岡将)

 ■星稜・林監督「奥川は二度と会えない器」

建設業を営む家庭の長男として生まれ、「自分が家業を継ぐものだと思っていた。高校野球の監督になりたいという野心というか希望は持っていなかった」。

日大卒業後、母校の星稜でコーチとして指導者の道を歩み始めた。当初は学校職員として働き、コーチ業のかたわら系列の大学で教員免許を取得した。

2011年、監督に就任するに当たっては1学年先輩の松井秀喜氏(45)に相談し、家族会議も行った。

「小さい頃から両親は自分の野球に付きっきりで、2つ上の姉は1人になることが多かったんです。だから、姉は野球が大嫌いで。でもそんな姉が『あなたは野球をやり通すべき』と涙ながらに背中を押してくれた」

今大会で評価を上げ「大会No.1投手」から、最速163キロ右腕の大船渡・佐々木朗希投手をも完成度でしのぐ「高校No.1」になろうとしているエース・奥川には、「もう二度と会えないかもしれない器。ベンチから一緒にできる最後の試合を目に焼き付けたい」と感慨深げだ。

選抜2回戦の習志野戦で、サイン盗みを行われたとして試合後に相手控室に乗り込み直接抗議。その後の対応なども問題視され、学校から2カ月間の指導自粛を言い渡された。

「あの出来事のあと、自分の指導が変わったわけではない。ですがあの2カ月間“当たり前のこと”がなくなったわけです。就職してからずっと続けていた指導を、させてもらえるありがたさ。選手たちに会いたいという思いもありました。見え方や声のかけ方は変わっているかもしれません」

今大会3回戦の智弁和歌山戦では、相手の黒川史陽主将が足をつった奥川に漢方薬を送り、準々決勝では仙台育英の小濃塁外野手が腕がけいれんした荻原吟哉投手(2年)にベンチから駆け寄りスポーツドリンクを手渡してくれた。

「本当に野球っていいものだなと思いました。高校野球に携わる者には『野球って素晴らしいものだよ』と発信していく責任があると思っています。それを彼らはさりげなくやってくれた」と相手校のフェアプレーを何よりも喜んだ。

情熱的な一方で堅物に見られがちだが、「モノや情報があふれているいま、野球を通じて我慢することの大切さを伝えたい」と語った後、「『お前が言うな』といわれそうですが」と自虐を入れて笑わせるユーモアの持ち主だ。

昨夏には最後のミーティング中、選手たちの前で1曲歌い上げる姿がテレビで紹介され、話題になった。“新曲”が期待されたが、「いやいやいや、勘弁してください!」と慌てて否定し、もう一度爆笑をさらっていた。

■履正社・岡田監督「ウソやろ」と思った…母は元プロ野球選手

「子供の頃、キャッチボールの相手はいつも母でした。すごくうまい母ちゃんで。母は『元プロ野球選手なんやから当たり前やろ!』って言っていたんですが、『そんなんウソやろ』と信じられなかったんです」

岡田監督が元女子プロ野球選手だった母・静子さんの言葉を、冗談としか受け取れなかったのも無理はない。日本女子野球連盟による女子プロ野球リーグは戦後間もない1950-51年の2年間だけ存在した。その後はノンプロとして存続したが、70年代には完全に消滅している。歴史に埋もれた存在なのだ。

「僕が知ったのも『探偵ナイトスクープ』(朝日放送系のバラエティー番組)の取材を受けたから。その時に母と同僚だった方が会いに来てくださって、野球殿堂博物館に写真があることを教えていただいた。で、実際に写真を見てみたら、完全に母なんですよ。名前も書いてないし若いけど、ウチの娘と顔、一緒。家族みんなで言いました。『これ、誰が見てもおばあちゃんやん!』って」

話にきっちりオチを付ける生粋の大阪人。周りには笑いが絶えない。

日体大卒業後、桜宮高のコーチを経て履正社の監督に就任したのは87年。「当時の部員は11人。3人は卓球部、陸上部、体操部から来てくれた子。グラウンドも共用。野球部の強化のために履正社に来たつもりは全くなかった」

それでも地道な勧誘と熱心な指導もあって就任10年目に初の甲子園出場。だが、2002年に「行き過ぎた指導」により半年間の謹慎処分を受けた。

「指導を一から考え直さないといけなかった。もう同じことはできない。仕事がなくなるわけですから。大切なのは『対話』。選手との対話、加えて家庭との対話です。ウチには寮がないので、家庭の協力は不可欠です」

岡田監督は謹慎処分から復帰後、選手との面談に加えて、選手の親との二者面談も毎年12月に行っている。

「基本的に親御さんは仕事もあるので日曜の試合だけを見学に来ることが多い。試合だけではなく、普段の練習の様子も伝えて『今、お子さんの課題はこういうところにあります』などとお話しすると、ものすごく理解を得やすい。親御さんを家でのコーチにしてしまうというのかな」

いまや大阪桐蔭とともに大阪で“2強”を形成する履正社の強さの秘密は、地道なコミュニケーションにある。

本日の逸品

太刀魚の塩焼き

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肉厚の太刀魚入荷しました。