【金ピカ先生】

9月27日(金)

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バブル期の象徴

好きな事やって逝ったんなら悔いはないだろう。

68歳はちょっと早すぎる。酒の飲み過ぎだ。

年収円→生活保護に 孤独死「金ピカ先生」の寂しい晩年

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金ピカ先生こと佐藤忠志さん(C)日刊ゲンダイ
金ピカ先生こと佐藤忠志さん(C)

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慶応大学法学部卒、筑波大大学院を経て、1977年に代々木ゼミナールの英語講師に。92年まで複数の大手予備校で名物講師として名を馳せ、「受験の神様」と呼ばれた。

 金ピカ先生の愛称で親しまれ、80年代に予備校の英語講師として大人気だった佐藤忠志さんが孤独死していた。デイサービスのスタッフが24日に冷たくなって倒れている佐藤さんを自宅で見つけ、警察に死亡を確認されたそうだ。

 派手なスーツに金のアクセサリーをトレードマークに、何台もの高級外車を乗り回していた往時を知る中高年世代からは、こんな声が相次ぐ。

「代ゼミでは、教室のドアが閉まらないほどの受講生であふれ、机の上にはプレゼントの山。たしか缶ビールまであって、豪快にあおってみせたりしていた。先生は日本刀を振り回し、8億円の豪邸を建てたとか、大きい話をいくつもしてくれた。講義が大学受験のためになるもので、分かりやすかったこともあるけれど、金ピカ先生の姿に成功者のイメージを重ね、高偏差値の大学に合格すれば、明るい未来が約束されていると本気で信じていた。先生の変わりざま、あまりに寂しい晩年の様子にはショックで言葉もありません」

晩年の金ピカ先生は年収2億円あった稼ぎが無収入となり、生活保護を受けていた。糖尿病などで体調を崩し、生きる気力も失い、愛妻も去って、ひとり暮らし。

 「朝からビール飲んでますよ。いつ死んでもいいんですから。やりたいこともないし、やることもない。隠居、生きる屍です。早く死にゃあいいと思っていますから」

スポーツ報知などのインタビューでそうコメントしたときの写真は痩せ細って目がうつろ。電気料金にも事欠く薄暗い部屋は荒れ、チェーンスモークで灰皿はたばこの吸い殻が山になっていたという。だが、それまでの人生を「バラ色。大満足。もう未練ない」とも語り、ホテルは最上級スイート、移動はハイヤー、グリーン、ファーストクラスが当たり前だったバブル時代を振り返っていた。

  全盛期が金ピカだった分、それとは対照的な晩年の寂しさが目立ってしまうのだ。
「注目すべきは生活保護という点」と、ある法曹関係者がこう言う。

「いまの隠居者でみれば、そう珍しいことではないと思います。年金が少なすぎて、それだけで生活するのは不可能と、還暦過ぎてアルバイトするのが当たり前という時代ですからね。現役時代は会社社長で、ビルも所有していた人が時給700円で、夜勤までして、10万円ちょっとの月収で糊口をしのいだりしている。体を壊したら当然、働けませんから、生活保護を申請しなければ生きていけない。晩年の佐藤さんにたばこや酒を買うお金があったとすれば、まだ恵まれていた方かもしれません」

定年後は盆栽や旅行、グルメなどを楽しみながら、悠々自適に過ごす。そんな人生プランを刷り込まれてきた佐藤さんの教え子、中高年世代も金ピカ先生の最期は決して他人事じゃないのだ。

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