【土用の丑の日】

7月21日(火)

皆さんこんにちは。

今日の記事

うなぎの旬は「冬」

ごぼうに鰻を巻き付けて焼く

うなぎの八幡(やわた)巻きの地名の由来は

京都府八幡市からきている

昔、木津川でうなぎが良く獲れたからだそうだ。

平賀源内がいなけりゃ「土用の丑」はゴボウだった?

公開日: 更新日:
作・嵐塚麻晴

作・嵐塚麻晴

拡大する

 そろそろ土用の季節である。といっても最近は鰻が高い。

ところで、土用に鰻を食べる習慣ができたのは平安時代だが、そのときは別に鰻でなくてもよかった。土用は「黒いもの」を食べる日であって、鰻に限定してはいなかったのである。上級貴族は鰻、中級貴族は鯰。庶民はゴボウを食べていた。もちろん鰻は憧れの食べ物ではあった。源氏物語の作者、紫式部は中級貴族だったので鯰だった。本人はそれが不満で「なんでうちは鯰なんだ」と日記に不満を書いているほどである。

鯰やゴボウがすたれて鰻が看板になったのは、江戸時代に平賀源内が鰻を推奨したからだといわれている。

平賀源内という人は日本史で最初のコピーライターだといわれている。

いろいろな人の相談に乗って、文才を発揮していたらしい

 実は土用というのは鰻がおいしくない時期である。鰻の旬は12月ごろで、夏は脂が少なくて痩せている。だから鰻屋からすると、夏に鰻を売る方法を探していたのである。そこで、土用に精をつけるという形で源内が売り出したのである。

頼んできたのが鰻屋だから、鯰やゴボウは消えてしまったが、もし源内に頼んできたのが八百屋だったら、いまごろ土用はゴボウの日になっていたかもしれない。

日本人は精がつく食べ物が好きだから、鰻は重要だった。しかし同時に「誰かが推薦」してくれるものも大好きである。なので、有名な平賀源内が鰻を推したというところに価値があったのである。

有名人に推されたらつい商品を買ってしまう、というのはこの頃から始まっている。ちなみに歌舞伎役者もアンテナショップに名前を貸していた。

歌舞伎で着たものと同じ柄の着物、手ぬぐい、饅頭がよく売れたようだ。そのときもコピーライターが口上を書いた。ただし、そういうときは完全に陰に隠れていて、目立つのはあくまで歌舞伎役者である。

さて、平賀源内だが、「どこの藩も雇ってはいけない」という特殊な処分を受けた人物だった。能力が高いから、藩に縛られずにさまざまな文化活動ができた。そして源内は、「知らないものは買えない」ということで、いかに他人の興味を引くキャッチコピーが必要なのかを最初に考えた人物であった。今日の宣伝の元祖として活躍した源内は男色家で、男色ガイドブックも書いている。「江戸男色細見―菊の園」。すごいタイトル。いろいろな意味で先進的だ。

本日の逸品

うなぎと言いたいことが珍しい魚が入りましたので

ハチビキ(葉血引き)チビキ鯛

IMG_0738

身は赤く白身のでは無いが白身魚に分類される。

身はまぐろとハマチの中間と言ったところ。

脂があるので焼き霜造りが美味かった!!鮮度の良いうちにどうぞ!

三浦春馬さんが30歳でお亡くなりましたが

リリアンさんも69才でお亡くなりになりました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

グランシャトー」CMでお馴染み、"オネエ系"リリアンさん死去 坂東英二 ...