【寛斎さん逝く】

7月31日(金)

皆さんこんにちは。

今日で7月終わり。梅雨明けしたようだ。

今日の記事

BOOWYの由来はデビットボウイからきていたんで知らなかったな

多彩なセンスの人でした。

山本寛斎さん追悼秘話 BOØWYの由来は「出火吐暴威」の衣装

公開日: 更新日:
(デビッド・ボウイ公式インスタグラムから)

(デビッド・ボウイ公式インスタグラムから)

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「ご冥福をお祈りします。深く悲しんでいます。氏の家族と近しい人たちにお悔やみを申し上げます」

世界的ファッションデザイナー山本寛斎さんの訃報(享年76)を受け、歌手デビッド・ボウイ(2016年死去)の公式アカウントは寛斎さんとの写真をアップし、そんな追悼メッセージを添えた。

ボウイとの関係は、1973年のワールドツアーで寛斎さんが衣装を手掛けたことで知られ、ロイター通信は「ボウイが服を身に着けた日本のファッションデザイナーが76歳で死去」と報じた。漢字で「出火吐暴威」と描かれた衣装はそれだけ鮮烈で、欧米でも今も語り継がれている証左だろうが、この伝説には続きがある。BOØWY、ZIGGY、LINDBERGなどを手がけた音楽プロデューサー月光恵亮氏(68)は「最も感謝しなければならない」こととして、こんなエピソードをSNSで書いている。

「BOØWY/暴威というバンドの名前のヒントは、この山本寛斎がデザインしたDavid Bowieの『出火吐暴威』がヒントになってます。原案の名前である『ボーイ』は長戸大幸さんが当時イギリスで『ガール』というバンドがいてこれに対抗してボーイという名前を挙げました。ただのBOYではアイキャッチー的にインパクトが無いので僕のアイディアでDavid BowieのBowieをスペルチェンジして組み合わせて出来たのがBOØWYです。そして衣装で使われた『暴威』を抜き出してバンド名としました」

布袋寅泰(C)日刊ゲンダイ

布袋寅泰(C)日刊ゲンダイ

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布袋寅泰もSNSで謝意

 BOØWYが一世を風靡した当時を知る世代も「へえ」と思うのではないか。元BOØWYでギタリストの布袋寅泰(58)も寛斎さんにステージ衣装を作ってもらった思い出をSNSでつづり、「会場ですれ違う多くのビッグネームアーチストから、『その衣装素晴らしいね』と声をかけられた。心の声で『だって山本寛斎だもの!』と誇らしかった」と振り返った。

寛斎さんデザインのボウイの衣装に憧れていたのだろう。そして「今も僕の宝物」とボウイの来日公演時の楽屋で撮影された寛斎さんらとの写真をアップし、こう悼んだ。

「時はめぐり物語は更新される。この世に生きた証しをどうやって残せるか。デビッドや寛斎さんを見習って、もっと攻めていかなければ、と思う。寛斎さん、いつも燃えたぎるようなエナルギーを見せつけてくれて、ありがとうございました。天国でデビッドさんと久しぶりに踊ってください」

洋服の仕立屋だった実家で生まれた寛斎さんは7歳の時に両親が離婚。一時入れられた児童養護施設から脱走を図り、訪ねた先の親戚に追い返されてしまったことも。そのとき列車から眺めた夕暮れの色がとても寂しかったそうで、だからこそ「きれいで明るくて元気いっぱいの世界」を求め「だれも見たことのないもの。そんな服をつくりたかった」と語っていた。

1971年に日本人で初めて開催したロンドンでファッションショーなど、伝説は数え切れず、イベント演出でも、93年のモスクワ「赤の広場」でスーパーショー、05年愛知万博や、16年東京五輪招致イベントなど、枚挙にいとまがない。特急「京成スカイライナー」の車両デザインを手掛けたりもしている。

今年3月に急性骨髄性白血病であることを公表し、今月21日に都内の病院で息を引き取ったが、寛斎魂は不滅だ。

本日の逸品

ハモの落とし

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