【渡哲也逝く】

8月17日(月)

皆さんこんにちは。

今日の記事

昨日常連のお客さんが故・渡哲也さんのと事言っていた。

渡哲也さんは高校の先輩です。

どこの?兵庫の三田学園です。

ええ知らんかった。弟の故・渡瀬恒彦もそうみたいです。

もとは淡路島の人やんな

そう。三田学園から青山学院大に進学されそこでスカウトされたようだ

石原裕次郎の右手になり活躍された

石原軍団の解散もこれがあったのかもしれない

亡き渡哲也さんの悔恨は…“ポスト裕次郎”を育てきれず

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石原裕次郎さん死去で会見に臨んだ渡さん(右)/(C)日刊ゲンダイ
石原裕次郎さん死去で会見に臨んだ渡さん(右)/(C)

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「西部警察」など数々のテレビドラマや映画で活躍した俳優の渡哲也さん(本名・渡瀬道彦)が10日、肺炎のため都内病院で死去した。78歳だった。

石原裕次郎さんの没後、2代目社長として石原プロを率いたのが渡さんだった。かつて飛ぶ鳥を落とす勢いだった石原プロも、渡さんの死と重なるように来年1月16日に看板を下す。渡さんが裕次郎さんからバトンを譲り受けたのは1987年。それから、石原プロは衰退の一途をたどってきた。

 「2003年8月、『西部警察』の名古屋ロケで行われたカーチェイスロケで、見物客5人に重軽傷を負わせる人身事故が大きなターニングポイントでした。それまで石原プロの警察ドラマは見事なアクション・シーンを売りに高視聴率を記録してきましたが、あの事故をきっかけに一気に制作現場の空気が変わりました。テレビ局は派手なドンパチを避けるようになり、“ヒューマンもの”にシフトしていきました。今の警察ドラマのど真ん中にいる『相棒』がそれを象徴しています」(テレビ局関係者)
あの事故を教訓にドラマ制作のスタンスを変えれば石原プロも生き残れたのかもしれないが、「たられば」の話だ。“石原・渡が残した遺産”にこだわり続けるあまり、時代の変化に対応しきれず、視聴者も次第に敬遠するようになっていった。

■卵を育てる才能を持つ人はいなかった

 そして渡さんの芸能人生における最大の悔恨は「ポスト石原裕次郎・渡哲也」を育てきれなかったことだろう。石原プロは2000年8月に開催した『21世紀の石原裕次郎を探せ!』に代表されるように、タレント発掘に力を入れるようになったが、すでに時遅し。徳重聡(42)を知っている人はギリギリいても、池田務(41)、宮下裕治(45)の名前を聞いて石原プロ所属と分かるのは芸能記者か一部のドラマファンくらいだろう。

渡さんの側には、小林正彦元専務(故人)のような商売上手な人物はいたが、残念ながらタレントの卵を育てる才能を持った人はいなかった。

「石原プロの力を持ってしても徳重聡がブレークしきれなかったのは、事務所にスターの原石を磨きあげるスペシャリストがいなかったからです。徳重はよく舘ひろし主演のドラマや映画で“抱き合わせ”でキャスティングされていましたが、演出家たちの評価はイマイチでした。石原プロが解散すると、無名の所属俳優は路頭に迷うことになりそうです」(芸能プロ関係者)

若手の神田穣(25)はすでに他事務所に移籍したが、貰い手が見つからない俳優もいるだろう。渡さんの死去によって一時代が終わったのは間違いない。

 (芸能ジャーナリスト・芋澤貞雄)
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