【笑わせて笑わせて最後にホロリ】

12月15日(火)

皆さんこんにちは

今日の記事

また一人昭和の名コメディアンが逝ってしまった

子供のころ伊東四朗、小松政夫のギャグをよく見ていたな

小松さん曰く

「喜劇というのは、みんなを笑わせて笑わせて、最後にホロリと泣かせるもの。それをやりたい」

小松政夫さんが語った仕事人生 1日24時間働いて飲んで…

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小松政夫さん(2011年撮影)/(C)日刊ゲンダイ

小松政夫さん(2011年撮影)/(C)日刊ゲンダイ

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「昔は昼に映画の仕事をして4時に終わったら3時間寝る。9時スタートでテレビの仕事が翌朝8時半までぶっ通しで、そのまま寝ずに次の仕事に入るなんてこともありました」

肝細胞がんのため、このほど78歳で亡くなったコメディアンの小松政夫さんは大の仕事人間であった。日刊ゲンダイに何度も登場し昭和の全盛期のエピソードを語ってくれていた。「ひどい時は1週間の睡眠が10時間なんてザラ」という売れっ子ぶりだったそうだ。

 肉好きで仕事後も焼き肉、ステーキを食らい、毎晩大酒を飲んだ。

「人が一生かかって飲むくらいの酒を3人分は飲んだ」などと振り返り、糖尿に注意するよう医者には言われても、笑い飛ばしていた。

「俺は一生懸命やってきたのに、なんで金がないんだ」

みじめ、みじめ~とばかりに妻朋子さんに愚痴った時、「あなたが全部飲んじゃったからよ」と即答され、返す言葉がなかったそうだ。

映画評論家の故・淀川長治さんの物まねに「しらけ鳥音頭」「知らない、知らない」「どうして、どうしてなの?」「何をユージロー、シマクラチヨコ」などなど。小松さんのネタは職場や酒場などでの人間模様を独自の観察眼で切り取ったものが多い。創出したギャグは80を超えたが、それこそ一日24時間、働いて、飲んで、見つけたたまものだったのだろう。

細かい気配りとサービス精神、人を引きつけてやまないユーモア。それは横浜トヨペットのトップセールスマン時代からのもので、車が庶民には高根の花だった昭和38年に月22台も売り、大卒初任給が1万4000円前後だったところ、月収12万円もの手取りがあったのは有名な話だ。熱血サラリーマンは芸能界でもモーレツ人生を走ったが、さすがに異変がきた。

「一度も体調不良で仕事を休んだことがないんですよ。60歳の頃、さすがに忙しい日が続き過ぎてもう限界と、14日間の休みをもらうことにしたんです。でも、いざ休みになると朝はゴルフ、夜は酒を飲みまくり、ほとんど寝ないで4日間遊びまくり。完全にオフだった5日目、気がついたらバスタブに倒れ込むように入っていて、顔面にシャワーがザーッと当たっていたんです」

■「笑わせて笑わせて最後にホロリ」

救急車で搬送された病院で、敗血症と診断された。たまりにたまった長年の過労が原因であったが、10日間の入院で療養後、また同じように走り始めていた。

「肝細胞がんと判明したのが昨年の11月。抗がん剤を投与しての闘病は大変だったでしょうに、それでも仕事も続けられた。お酒もぴしゃりとやめられたそうですから、まだまだこれからと思われていたのではないでしょうか。病気についてはほとんど明らかにせず、盟友の伊東四朗さんは『ひと言言ってくれれば会えたのに。残念』とうつむいていましたけど、それが小松さんの美学だったのかも知れませんね」(小松さんを知る芸能プロ幹部)

小松さんはよく、こう言っていた。

「喜劇というのは、みんなを笑わせて笑わせて、最後にホロリと泣かせるもの。それをやりたい」

その精神を人生でも貫いたのだろう。師匠の植木等さんが亡くなった80歳まで現役をと目指したそうだがかなわなかった。しかし、訃報に接した伊東四朗は天国で植木さんと久しぶりに会っているのではと言い、「師弟関係に戻って、付き人として走り回っていて欲しい」と語った。今頃天国であの飛び切りの笑顔をはじけさせているに違いない。

合掌。

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