【なかにし礼さん逝く】

12月26日(土)

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名作詞家がまた逝ってしまった。

最近たてつづきだな

男80歳過ぎると逝く方が多い

なかにし礼さん死去…安倍前首相ら改憲論者を痛烈に批判

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なかにし礼さん(2014年4月撮影)/(C)日刊ゲンダイ
なかにし礼さん(2014年4月撮影)/(C)日刊ゲンダイ

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「北酒場」や「石狩挽歌(ばんか)」など数多くのヒット曲を手掛けた作詞家で直木賞作家でもあるなかにし礼(れい、本名・中西禮三=なかにしれいぞう)さんが23日、心筋梗塞のため東京都内の病院で亡くなっていたことが分かった。82歳だった。葬儀は近親者で行うという。

1938年、旧満州・牡丹江省(黒竜江省)で生まれたなかにしさんは、立教大学在学中よりシャンソンの訳詞を手がけ、「知りたくないの」(歌・菅原洋一)を機に作詩家に。昭和を代表する楽曲を手がけた。2000年には「長崎ぶらぶら節」で直木賞受賞。「赤い月」「戦場のニーナ」ほか、多数の著書がある。

2012年3月の民放情報番組で、食道がんであることを報告。いったんは陽子線治療でがんを克服したものの、15年3月、自身のラジオ番組で再発を明らかにしていた。日刊ゲンダイ「愉快な“病人”たち」(16年5月26日付)では、なかにしさんは闘病生活をこう振り返っていた。

<あまり知られていないけれど、実は抗がん剤の副作用にうつ症状もあったのです。そして、私がまさにそうでした。抗うつ剤を処方してもらったら、苦しみが半減しました。都合、5回の抗がん剤治療と12回の陽子線治療でがんは消えました。がんは根性で勝てるものではないと思います。がんがつらいんじゃなくて、私のうつ症状のように“抗がん剤がつらい”ってこともあります。そういうつらい時こそ、薬の出番。何が問題か、根本の見極めが必要です。>

<切るしか選択肢はないのか、この病院でいいのか。手術は成功したといいつつ、術後に死ぬこともあります。名医であっても、自分の病状と相性がいいかどうかは分かりません。慌てず、うろたえず、シンプルに『自分が生きるためにすることは何か』を突き詰めて考えるべきです。>

■当時の安倍首相を「岸信介教の熱狂的信徒にすぎない」と

一方で、 終戦後、8歳の時に旧満州から家族で命からがら引き揚げてきたなかにしさんは、戦争の悲惨さを身をもって体験していたことから、憲法改正を掲げる安倍政権に対して批判的な論調も多かった。

<改憲論者とは戦争をしたい人たちなんですよ。日本には米軍基地がまだある。だから、真の独立のために戦争するというのであれば、まだわかる。しかし、彼らは集団的自衛権を行使して米国と一緒に戦争をするために憲法を変えたいわけでしょう? 論理破綻しているし、美しくもなんともない話です。安倍さんはただ祖父、岸信介が活躍した戦前の軍国主義の世の中に戻したいのでしょう。これは極めて個人的な心情で、岸信介を神とする信仰のように見えます。>

<国家という言葉を持ち出す人には用心しなければいけません。ファシストの特徴は歴史を直視しようとしないことです。だから、ファシスト政権になると、まず、歴史を書き換えようとする。さらに国民を監視しようとする。そうやって、いち早く反乱の芽を摘み、国民を同一化しようとする。そのうえで、平時に戦争心理を適用させようとするのです。(略)しかし、ファシスト政権は必ず敗北する。それは歴史が証明しています>まさに今の「安倍・菅政権」の姿そのものではないか。

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