【鈴木会長引退?】

3月16日(火)

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指導者は後継者を育てるのが一番大事な仕事だ

スズキの鈴木修とホンダの本田宗一郎の違い

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鈴木修・スズキ相談役(C)日刊ゲンダイ
鈴木修・スズキ相談役(C)

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 私の郷里の『山形新聞』および『山形放送』のドンだった服部敬雄が亡くなった時、

「選挙もないのに知事が代わった」

と連載していた週刊誌のコラムで書いて、以後、両社から原稿依頼や出演依頼が来なくなった。

当時の知事は板垣清一郎だったが、実質的には服部で、”服部知事、板垣総務部長”と言われていたからである。

2月24日にスズキが代表取締役会長の鈴木修の退任を発表したと知って、そのエピソードを思い出した。

91歳の鈴木は40年以上、スズキをリードし、退任後は代表権のない相談役になるという。

しかし、実態は変わらないのではないか。多分、亡くなるまで鈴木はスズキのドンだろう。記者会見で、健康に不安はないと言っているし、「生きがいは仕事。人間、仕事を放棄したら死んでしまう」と思うがままのことを述べているからである。

現スズキの鈴木自動車工業に入社したのは1958年。義父の鈴木俊三の後を継いで社長になったのが1978年である。そのころ入社した社員は定年でとっくにスズキを去っている。

2000年に会長に退いたが、後任社長が体調を崩したり、娘婿が急逝したりして、2008年に社長に復帰した。

インドに進出したり、トヨタと資本提携したりして、スズキを延命させてきた功績はもちろんある。

しかし、後継者の育成は経営者にとって欠かせない仕事のはずである。それに失敗した責任は免れないだろう。

国内販売台数が、昨年、ホンダを抜いて2位になったというが、本田宗一郎のようにスパッとトップを退いた潔さは鈴木修には見られない。本田は口を出したくなるからと言って、社長退任後はほとんど会社に顔を出さなかった。

できれば修も相談されなければ口を出さない相談役に徹してほしい。

佐高信 評論家
1945年山形県酒田市生まれ。「官房長官 菅義偉の陰謀」、「池田大作と宮本顕治 『創共協定』誕生の舞台裏」など著書多数。有料メルマガ「佐高信の筆刀両断」を配信中。