【53歳早すぎる死‥】

3月25日(木)

皆さんこんにちは

今日の記事

突然の訃報でびっくりした

発見した時は全身に転移してたんだろ

真の強い男とは彼のような人だ

平尾さんが亡くなった時と同じくらいショック😢

なんで偉大な人が早く逝くんだろう 平尾さんと同じ53歳・・

古賀稔彦さん「兄貴がいなければ並の選手で終わっていた」

公開日: 更新日:

古賀稔彦さん(C)日刊ゲンダイ
古賀稔彦さん(C)日刊ゲンダイ

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 1992年バルセロナ五輪の柔道金メダリスト、「平成の三四郎」こと古賀稔彦さんが病気のため、24日に亡くなりました。53歳でした。古賀さんが柔道家としての原点を語った日刊ゲンダイ(2011年2月28日号)の記事「私の秘蔵写真」を再掲載します(日付、肩書、年齢等は掲載時のまま)。

◇  ◇  ◇

「平成の三四郎」と称され、92年バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級で金メダルを獲得した古賀稔彦さん。96年アトランタ五輪では同78キロ級で銀。小柄ながら、キレのある一本背負いで2大会連続メダルは記憶に新しい。古賀さんが選んだ写真は“師匠”との一枚だ。

■小1から始めた柔道 師匠はいちばん身近にいた

「小学校低学年の頃、当時、実家があった福岡の近所の川で撮った写真です。右に写っているのが2歳年上の兄貴です」

幼少時、病弱だった古賀さんは、遊びも登下校も何をするにも兄・元博さんの後をついて回っていた。

柔道を始めたのは小学1年。いつも一緒に遊んでいた友人たちが道場に通い始めたため、兄弟2人で入門した。最初は遊び半分で始めたが、練習試合で簡単に負けてしまったことで、「どんな相手にも負けたくない」と発奮。父、兄とともに練習に明け暮れる日々を過ごし、2人はメキメキ頭角を現していく。

兄は、中学入学と同時に東京の講道学舎に入門。2年後、古賀さんも後を追って九州から上京した。

「2年ぶりに兄貴の柔道を見たら、自分よりでかい相手を一本背負いでバンバン投げていた。当時、ボクはひざをついた背負い投げをやっていたんですが、兄貴から『オマエの背負いじゃ、でかい相手は投げられねーぞ』と言われました。それで、教えてもらうことにしたんです」

弦巻中学に入学した古賀さんに、兄のスパルタ特訓が始まった。

「兄貴はものすごく短気な上、とにかく基本に厳しかった。体を入れるタイミング、肩の高さ、足の指の位置に至るまで、基本に忠実に叩き込まれる。少しでもできないとメチャクチャ怒られて、『バカ野郎! こうやってやるんだよ!』と、容赦なく投げまくるんです。これが毎日でしたからね。『早く覚えないと自分の身が危ない』と、必死で居残り練習しました」

全体練習が終わった後、畳の上にチョークで足形を書き込み、大きな鏡の前で、一人打ち込みを200本近く繰り返した。がに股を矯正するためにわざと内股で歩くトレーニングを敢行。恥ずかしい姿を見られたくないから、同級生と連れ立って登下校するのもやめた。

「もし、兄貴が変に優しかったり、適当な性格だったら、ボクは並の選手で終わっていたでしょうね。兄貴はいまだに『オレのおかげだ』って言いますけど。ハハハ」

実家近くの川で2歳年上の兄と(提供写真)
実家近くの川で2歳年上の兄と(提供写真)

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兄弟といえども先輩後輩の関係は厳しい

「寮では兄貴と同じ部屋だったんですが、1年と3年では天と地ほど立場が違います。たとえ兄弟でも、まともに口を利ける関係じゃありませんでした。実家から送ってもらっていた小遣いは、すべて兄貴のもの。毎月5000円、2人分まとめて現金書留で送ってもらっていたんですが、兄貴は当たり前のように全額を自分のポケットに入れてしまうんです。途方に暮れましたよ」

好き勝手にジュースを飲んだり、アイスを食べている兄を横目で見ながら、古賀さんは自分で小麦粉に砂糖と卵を入れて焼き、食べ盛りの腹を満たしていたという。

世田谷学園高時代は全国大会の個人・団体戦で2連覇を達成。高3時の新人体重別柔道選手権大会の決勝では日体大2年の兄と対戦し、古賀さんは腕ひしぎ十字固めで一本勝ちした。柔道で兄を超えたが、後を追って進学した日体大でも、強烈な洗礼を受けた。

「教科書を買うため、実家に『お金を送って欲しい』と電話したら、兄貴に言われて10万円を送ったって言うんです。兄貴に聞いてみたら、『教科書なんか合宿所を探したらどっかにあるんだから、買う必要ねーんだよ』と一言。あきらめるしかなかったですね。アハハ」

現在、兄は福岡の高校で体育教師を務め、柔道部の指導をしている。

「あれほど厳しかったのに、いまは優しい先生だっていうんだから、参っちゃいますよね」

08年にサンフランシスコの道場で(中央が福田先生)(提供写真)
08年にサンフランシスコの道場で(中央が福田先生)(提供写真)

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新しい“師匠”の存在

 00年、現役引退。03年に川崎市に町道場「古賀塾」を開設し、指導者になった古賀さんに最近、新しい師匠ができた。伝説の女子柔道家・福田敬子さん(97)である。

福田さんは女子初めての9段で、64年の東京五輪ではエキシビションで演武を披露した。講道館柔道の創始者・嘉納治五郎から「柔道の国際的普及のため、将来は外国で指導してほしい」と依頼され、66年に渡米を実現。いまもサンフランシスコで柔道の指導を続けている。

「08年にサンフランシスコの道場で撮ってもらった写真で、真ん中に写っている女性が福田先生です。ボクは『人生の最後は柔道着を着たまま畳の上で死にたい』という思いから道場を建てました。90歳を越えても週3回は道場に来て、嘉納先生の教えを伝えている福田先生は、自分が理想としている柔道人生をすでに体現しているお手本です」

柔道界の損失は計り知れない。

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