【大島康徳氏逝去】

7月6日(火)

皆さんこんにちは

毎日毎日蒸し暑い日が続きます

今日の記事

HHK BSでエンジェルスの解説をされていたが声が出てなく心配していたが

その後お亡くなりになりました。

大島康徳さんを中日の後輩が悼む 敵地のヤジに「なんだコノヤロー‼」と言い返す豪快さ

公開日: 更新日:
親分肌だった大島康徳さん(C)共同通信社

親分肌だった大島康徳さん(C)共同通信社

拡大する

 元日本ハム監督の大島康徳さんが6月30日に亡くなっていたことが分かった。70歳だった。

中日、日本ハムで通算2204安打をマークした大島さんは、2016年10月に大腸がんと診断され、医師から肝臓への転移と「余命1年」を宣告。野球解説の仕事を続けながら自身のブログで闘病の様子をつづり、今年6月には肺への転移を告白していた。

「つい最近も電話で元気な声を聞いていたばかりだから、『やっさん』が亡くなられたという実感が湧きません」

中日時代の後輩、平野謙氏がこう続ける。

「球場で会った際に『大丈夫?』と声をかけても、『元気だよー』って。かなり痩せられていて、大丈夫なわけはないんだけど、ボクや周囲への気遣いだったと思います。5歳上のやっさんは、親分肌でいかつい人だったから、最初は近寄りがたかった。それでも向こうから『謙、謙』と言って、冗談を交えながら話しかけてくれて……。余命1年と言われながら、4年以上ももった。本当に頑張ったと思います」

同じく中日の後輩、藤波行雄氏が言う。

「1歳上の大島さんとは左中間を守った間柄。巨人阪神との試合では、厳しいヤジにさらされました。主砲の大島さんがナゴヤ球場の左翼スタンドへ豪快な本塁打を放り込むものだから、敵のファンは面白くない。メガホンが投げ込まれるのはかわいいもので、ボールやハサミまで投げつけられた。なぜか生きたヒヨコが飛んできたこともありました。それだけ打ったということ。30代半ばまで独身だったので、『結婚できないオオシマ!』とヤジられ、『なんだコノヤロー!!』と言い返していました。豪快な人でした。残念な気持ちでいっぱいです」

■監督時代も熱血漢として慕われる

日本ハムの山田正雄スカウト顧問も「今年2月の沖縄キャンプで『どこへ行っても心配されるけど、がんなんてすぐ治っちゃった。山田さんの方こそ元気でいてね。来年は若い女の子でも連れてこようかな』と冗談を言うくらい元気だっただけに……」と声を沈ませる。

中日からトレードでやってきた当時、38歳のベテランだったにもかかわらず、年明けの自主トレには多摩川の河川敷グラウンドに誰よりも早くやってきて汗を流していたのが印象的でした」

その日本ハムで44歳まで現役を続け、最終年の1994年には代打中心の起用ながら打率.323、2本塁打、22打点の成績を残した。00年に日本ハム監督に就任。3年間で3位、6位、5位と結果を残せずに解任されたものの、熱血漢で選手からは慕われた。当時のチーム関係者が振り返る。

「酒豪で、大分出身ですから飲むのは決まって焼酎。パチンコも大好きで監督時代は沖縄・名護キャンプの練習が終わると、真っ先に国道58号沿いのパチンコ屋へ。夕食時間ギリギリまで台に座っていた。『だから選手にはパチンコをやるなとは言えないんだ』と豪快に笑っていたものです」

合掌

 日刊ゲンダイDIGITAL