【好きに生きた人生】
2月3日(金)
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石原慎太郎氏死去 夕刊フジが伝えた〝慎太郎節〟 米軍横田基地の視察で「屈辱的ですよ」 「都知事はへたな総理よりずっと面白い仕事でした」

東京都知事を13年半務め、保守政治家の代表格として知られた元衆院議員で作家の石原慎太郎氏が1日、死去した。享年89。実は、夕刊フジの創刊号(1969年2月25日発行)は1面で、参院議員に前年初当選した慎太郎氏の独占インタビューを掲載した。その後も、何度も紙面に登場して、さまざまな「慎太郎節」を披露してくれた。
創刊号1面に登場
「東京のど真ん中にこんなバカでかい基地があるなんて…。それも外国の軍隊でしょ。屈辱的ですよ」「米国にハッキリものを言う」

石原氏は99年3月、米軍横田基地周辺を視察した際、同行した夕刊フジ記者にこう語った。
当時、「基地返還」を訴えながら、米軍と自衛隊、民間航空の共用を構想していた。憲法も含めて、米国から「自立」できず、中国にも毅然(きぜん)と対峙(たいじ)できない日本人を嘆いていた。翌月、「東京から日本を変える」と掲げて都知事選で圧勝した。
反角栄派
石原氏は衆院議員時代の73年、「反田中角栄」を旗印に自民党の若手保守派グループ「青嵐会」を結成した。
翌年4月のインタビューで、当時の田中首相や青嵐会、派閥、政治家について語った。
「宰相の個性が時代にマッチしないのは、悲しむべき不幸な偶然」「カネや富が、政治、社会の目的となり得ない時代に日本がさしかかっていることを自覚していない」「青嵐会の外交意見は、分析的、理性的、プラクティカル(実利的)なのに、日本では保守反動のホーク、タカにされる。冗談じゃない」「いわゆる派閥政治に非常に絶望を感じている。政治家は不勉強で勇気がない。モメゴトを理詰めで考えようとしない」
軽い話題にも応じてくれた。
クールビズ
福田赳夫内閣の環境庁長官で初入閣した翌77年2月のインタビューでは、クールビズを先取りするように、「外に出る時はネクタイしめるけど、役所ではノータイで通すよ。ノドをいつもしめつけているのは健康によくない。ボクが総理になったら、ポロシャツで閣議をやろうと思っている」と語った。
2012年の都知事辞任後、国政に復帰したが、14年12月に政界を引退した。その後は作家活動にも専心し、ベストセラーを生むなど、健筆に衰えはなかった。
「ボクは派閥で群れるのが嫌い、カネをつくる才覚もない。角さん(=田中元首相)みたいな『天才』じゃないからね。だけど、都知事というのは、へたな総理よりもずっと面白い仕事でしたよ。ひとつの〝大きな国〟ですから」
今どきの若者にも言及した。
「無茶もしないし恋愛も及び腰。そんな刺激のない人生どこが面白いかねぇ。果敢に動き、前へ進まないと実りは出てこないよ」
死生観も

20年に小説集『死者との対話』(文藝春秋)を上梓した後、夕刊フジでは最後となるインタビュー(同年7月)では、弟で俳優の裕次郎氏の闘病を振り返り、語った。
「苦しみ死ぬのはイヤだね。周りの人間も見ていてつらいし、当人もつらいだろうしね。葉山の灯台の見えるところに、弟のために記念碑を建てたんです。子どもたちには、そこに並んで私の記念碑も建ててくれと頼んでいます。墓代わりにね。そして、遺骨の半分は海へ散骨してもらう。やっぱり海に帰してもらいたいからね」
本日の逸品
本もろこの塩焼き