【伝説の歌姫】

5月8日(日)

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あれから30年

どこでどう過ごしているのだろうか

ちあきなおみ、表舞台から姿を消し30年「アパート経営」「病院に行かない」今

共同

ちあきなおみが姿を見せなくなってから30年(写真/共同通信社)

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引退や解散を宣言するも、しばらくして華々しく復帰するという歌い手も少なくないなか、ちあきなおみだけは沈黙を守ったままだ。彼女が姿を見せなくなり30年、代表作『喝采』の発表から50年となる今年。もう彼女の歌声を聴くことはできないのだろうか──。

墓前には赤のカーネーションや白菊が入った仏花が供えられており、燃え切ったばかりの線香が墓参者のぬくもりを感じさせる。ここは歌手・ちあきなおみ(74才)の夫が眠る墓だ。最愛の夫が死を迎えるとちあきは表舞台から完全に身を引いたが、大切なこの場所を訪れることはやめていない。

「いまも定期的にお墓を訪れ、墓前で両手を合わせてそっと目を瞑り、長い時間を過ごされているちあきさんをよくお見かけします。こちらから声をかけることはしませんが、いくつになっても献身的な姿に胸を打たれます」(お墓を訪れた人)

1992年に最愛の夫・郷エイ(エイは金偏に英)治さんを55才の若さで亡くし、すべての活動を休止してからまもなく30年。伝説の歌姫はいま何を思うのか──。

近年、かつて彼女とともに同じ時代を歩んだ者たちが立て続けに旅立っている。昨年12月には、ちあきの大ヒット曲『四つのお願い』を手がけた作曲家の鈴木淳さん(享年87)が他界した。その1年前には『喝采』『夜間飛行』などを提供した作詞・作曲家で歌手の中村泰士さん(享年81)が逝去。2019年には芸名の名付け親である元フジテレビプロデューサーの千秋与四夫さんが亡くなった。

「特に第14回日本レコード大賞を受賞した『喝采』は、ちあきさんにとっても思い入れのある曲です。作曲者の中村さんは、喜寿を迎えた2016年に記念コンサートを開催し、その際、ちあきさんに祝福のコメントを依頼しましたが、彼女は『いまは一介のおばあちゃんだから』として、首を縦に振りませんでした。

近年は縁のある“盟友”が次々と鬼籍に入り、ちあきさんへの追悼コメントの依頼も多いようですが、彼女は頑なに沈黙を貫いています」(レコード会社関係者)

日本が学生運動に揺れた1969年、ちあきは『雨に濡れた慕情』でデビューした。その後も独特のハスキーボイスと抜群の歌唱力を駆使して次々と世にヒット曲を送り出し、「歌姫」の称号を得た。

プライベートでは1978年に俳優だった郷さんと結婚。これを機に郷さんはちあきの個人事務所の社長兼プロデューサーとなり、夫婦は公私ともに充実した日々を過ごした。当時から神秘に包まれていた彼女の素顔を、元マネジャーで『ちあきなおみ 沈黙の理由』(新潮社)の著者である古賀慎一郎さんが明かす。

「最初は怖いイメージがあったけど、実際に会ってみると気さくで芸能人らしくなく、おごりがなく本当にかわいらしい人でした。ドラマのロケで遊園地に行った際は空き時間に『ジェットコースターに乗りたい』と子供のようにキャーキャー騒いでいました」

しかし、郷さんががんを患うと幸せな生活は一変する。精魂込めて懸命に看病するちあきの姿に、病院は「夫が亡くなったら後を追うかもしれない」と警戒し、病室の窓が開かないよう全面テープ貼りにした。必死の看病も実らず、1992年9月に郷さんが他界すると、ちあきは火葬場で棺にしがみついてこう繰り返したという。

「ごめんなさい……ごめんなさいね」

スタスタと早歩きで元気そのもの

ふたりの絆について、古賀さんが振り返る。

「結婚後、ちあきさんと郷さんは2人で1人のように生きていて、夫婦というよりも戦友でした。『私は郷さんのために歌っていた』といって聞かない彼女は、夫がいなければ歌うことはできなかった。郷さんの死後、私が『ちあきさん自身が自分をプロデュースすればいいじゃないですか』と水を向けても、彼女は『自分の好きなものしかやらなくなる』と言って、歌手活動を再開しようとはしませんでした」

その後、彼女は長い沈黙期間に入った。「もう、ちあきなおみはいないのよ」という言葉を残して──。

「私はちあきさんが活動休止してから7年間、マネジャーとしてお仕えしました。この間、彼女は買い物などをのぞいてほとんど外出しなくなり、家のなかで自分と向き合う時間が増えました。郷さんを供養しようと仏門に興味を抱いて、家でひたすら写経することもありました。

一方でお墓参りは欠かさず、郷さんが亡くなってから6年ほど経っても、毎日のように墓参を続け、毎回1時間ほどかけて、墓前で亡き夫と会話をしていました」(古賀さん)

当時は、人目を忍び、人通りのある時間帯に表に出ることは多くなかったが、健康面での問題はなかったという。

「ちあきさんはまもなく後期高齢者となる年齢ですが、いたって健康で、もう何年も病院に行ってないそうです。歩くときもスタスタと早歩きで元気そのもの。意外にも格闘技が大好きで、ボクシングや総合格闘技をテレビで見て熱狂するほど、気持ちもお若いようです」(芸能関係者)

デビュー50周年を迎えた2019年にコンセプトアルバム『微吟』、2021年にはCD-BOX『The Anthology NAOMI CHIAKI ちあきなおみ大全集』が発売されるなど、いまも定期的にベスト盤がリリースされ、テレビでは特別番組が放送される。「生ける伝説」となった彼女だけに、休業中も生活には困らないようだ。

「彼女は現役時代に一生分の貯蓄をしたはずですし、いまもアルバムが売れているので印税収入だけで充分生活できるでしょう。都内に不動産を所有し、アパート経営もしているそうです」(古賀さん)

現在、ちあきと直接交流する数少ない人物が、元テイチク社長で『喝采』のプロデューサーを務めた東元晃さんだ。歌手としての復活はあるのか。東元さんが語る。

「彼女は自分の歌に対してものすごく厳しく、潔癖です。人の歌のことは何も言わないけど、自分の歌は100%完璧じゃないと歌う意味がないと思っている。実際にレコーディングのときも、自分が納得できないとどれだけ時間がかかってもやり直していました。

彼女のカラオケは聴いたことがないけれど、いまでも歌うことは好きでしょうし、日本の古い歌やシャンソンからファド(ポルトガルの大衆歌謡)までさまざまなジャンルを聴いていて、歌に対する関心はまったく消えていません。ただ歌は誰かに説得されて歌うものではなく、自分の意思で決めるものです。

いまでも若い子がちあきなおみの歌に興味を持ってくれるし、私は誰よりも彼女にまた歌ってほしいと思っているけど、本人にその気持ちはもうないでしょうね」

ヴェールに包まれた彼女の近況についても尋ねてみた。

「いまでもいろいろ話しますが、彼女は決して世間をシャットアウトしているわけではありません。いまも感受性豊かで、世間の動向についてもよく知っていますよ」(東元さん)

再来年には節目となる郷さんの三十三回忌があり、ちあき自身も喜寿を迎える。そのとき、歌姫の長い沈黙は破られるだろうか。

※女性セブン2022年5月12・19日号

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